ホッキョクウサギ日誌

なかにしけふこのブログ。宗教学と詩歌文藝評論と音楽と舞台と展示の話など。

劇団チョコレートケーキ『無畏』(2020年8月8日マチネ、下北沢・駅前劇場)

劇団チョコレートケーキ『無畏』をみました。
古川健台本・日澤雄介演出。大正天皇の生涯を描いた『治天ノ君』でも知られる史劇の名手タッグです。
お二人の台本・演出で上演されるはずだった鈴木拡樹主演『アルキメデスの大戦』舞台版公演がコロナウイルス感染症防疫対策でざんねんながら中止になってしまったのでなんとしても『無畏』はみなければ、とお友達にチケットをとってもらって一緒に見に行きました。
『無畏』は大日本帝国陸軍大将・松井石根(演・林竜三)の戦後を描いた史劇です。孫文を尊敬し、蒋介石とも親交を結んだ中国通の老将軍が、1937年に日中戦争の陣頭指揮に立って南京大虐殺の責任を問われるようになった経緯とは。その戦争責任とは。極東軍事裁判での松井の弁護人・上室亮一(演・西尾友樹、とにかくうまい(後述))との対話と、巣鴨プリズンに派遣される浄土真宗僧侶の教誨師・中山勝聖(演・岡本篤、威厳ある僧侶ぶりがみごと)との対話を軸にした回想劇仕立てで描きます。
上演情報はこちら。

www.geki-choco.com

松井石根は1938年に復員後大アジア主義に傾倒、伊豆に「興亜観音」を造立して日中戦争の戦死者のために「祈る」生活に入りますが、戦後、A級戦犯として巣鴨プリズンに入獄、極東軍事裁判で有罪判決を受けて1948年12月23日に処刑されます。
劇中の松井はなにかにつけて「南無妙法蓮華経」「私がすべて責任をとる」と口にしては従容と獄中生活を送ろうと努め、信心に篤い善人としての側面を上室弁護士にも中山教誨師にも誇示します。信仰があれば戦争犯罪人としての責任を逃れられるのか。淡々と中山教誨師は松井の信心の奥底にあるものを見つめ、上室弁護士は事実を綿密に調べて冷徹に獄中の松井に迫ります。戦争犯罪人の示す「善人らしさ」や「篤い信仰」にほだされずにそれぞれに二人は真実を求めてゆきます。
回想シーンではただただ絶望的な方向に事態が走ってゆきます。上海での敗勢に接して「日本人の手で中国を解放する」と主張して強引な南京進軍を決定する老いた将軍と、軽挙妄動を危惧する部下たちのあいだでただただかみあわない作戦会議が幾度となく繰り返されます。むろん戦闘の現場との意思疎通はたいへんまずしい。「有能な」人々が保身を求め、体面を繕おうとした結果、末端に至るまで可能な限りダメージの少ない方法で組織を動かすどころか大義も目的も見失ってゆく展開がおそろしい。

松井の私設秘書・田村明政(演・渡邊りょう)は「師」の大アジア主義に心酔、戦後もその態度を変えることがありません。あろうことか上室弁護士に温情判決を引き出すようぐいぐいと迫ります。現実にはとても成就しそうにない権力の幻想と壮大なイデオロギーを説く「師」の存在に陶酔する私設秘書の姿はまるで現在のオルタナティヴ・ライトの青年のようです。

上室弁護士を演じた西尾友樹さんが大変うまい。ラストシーンの「東亜観音」参詣の場面に至るまで、なにげない仕草やたたずまいや声色から、それぞれの場所の風が見えるかのようです。ラストシーンの「東亜観音」への参詣場面ではとくにその美質が光りますが、なかでも幕切れ近く、現場の兵士がほしいままにしたヴァンダリズムの理由を綿密な資料調査を通してつきとめて松井を追及する場面がみごとです。現場の兵士に戦闘の意義と可能な限りダメージの少ない適切な戦略を伝えないままに、資材を現地調達しながらの進軍を命じた結果、略奪と破壊と強姦の頻発という人道にもとる惨禍が広く起きたことが判明します。もちろん松井の唱えた大アジア主義大義名分など現場の兵士は知るよしもありません。資料をいっぱいに積んだテーブルを覆し、椅子で暴行シーンを再現する上室。口先で「責任を取る」と言いつづけてきた元将軍にとても一人では責任を背負いきれない事態をつきつける法曹の冷え冷えとした激情。毅然とかつての将軍らしく「責任を取る」と言いつづけてきた矜恃を挫かれ、いちばん認めたくなかった事実を認めて、刑死を受け容れる決意におよぶ松井のさびしいたたずまいと好対照です。
『無畏』は松井の座右の銘でした。なにものも恐れず仏法を説く、の意ですが、辞世の句では「判決と刑死を従容として受け容れる」の意として使っているとのことです。

『無畏』はすぐれてアクチュアルな演劇作品でもあります。高邁な理想と志を抱きながら、老いて時代の変化についてゆけなくなってもなお最前線で指揮を執り、「普通の人々」のおかれた状況にまったく想像が及ばず、口先ばかりで「責任を取る」と唱える「えらいひと」。肝心のことはすべて現場任せにした結果、とても大義名分では覆いきれない、責任などとてもとれるはずのない惨禍をもたらす「意志決定者たち」。痛みから目を背けて心酔できる思想に溺れる人。適切な情報も対応も与えられないまま、自暴自棄になって蛮行すら正当化する「普通の人々」。そして資料の保存はだいじだよ!これはまさに私たちの目の前のさまざまな場面で起きている事態ではないでしょうか。
犯罪をおかした者が宗教やイデオロギーを通して心の平安を得れば「悔悛した」と理解して温情を施すことはどこまでできるのだろうか。犯罪者自身の償いの祈りの意義や、教誨師の役割の意義をも鋭く指摘する作品です。
中学校・高校の演劇鑑賞教室にも好適な作品だと思います。もちろん大学生にもみてもらいたい。特に社会科学と歴史学専攻の人。ぜひ少しでも多くのかたにみてもらいたいと願ってやみません。台本も書籍化されますよう。

酷暑の日でした。劇場ではフェイスシールドが渡されてマスクとともに着用必須でした。防疫対策はばっちりですが、途中暑くて集中力が飛びそうになったのが非常に残念です。新型コロナウイルス感染症がいつの日か一段落して、劇場のなかでフェイスシールドもマスクもつけなくてもすむようになったら、きっともっと集中して見られる日が来るかもしれません。再演されることを期待します。