ホッキョクウサギ日誌

なかにしけふこのブログ。宗教学と詩歌文藝評論と音楽と舞台と展示の話など。

『刀剣乱舞』シリーズのライヴビューイングを見るなど(『維伝 朧の志士たち』大千穐楽(福岡サンパレスホール、2020年1月18日/新宿バルト9)、『歌合 乱舞狂乱』大千穐楽(武蔵野の森総合スポーツプラザ メインアリーナ、2020年1月24日/DMM配信)

このところ新しい企画を進めておりましてごぶさたしておりました。
そろそろ『刀剣乱舞』シリーズのまとめをしておきましょう。
おかげさまで出講先で「せんせいとうらぶのファンなんですか?」との質問もいただいております。「箱推し、特に舞台版を推します」と答えています。
じつにきらきらしく、刀剣男士が(付喪神だからか)ジェントル。そして文化財保存継承活動にもつながるオープンシステム。
多くのかたが夢中になる理由がよくわかります。
複数のファンのかたからぜひミュージカル版も見て欲しい、とのリクエストをいただき、配信で『歌合 乱舞狂乱』大千穐楽を見ました。
だいぶいろいろなことが朧なので思い出しつつ書きます。

 

『維伝』ライヴビューイング

ほんとうに最後まで闘い続け、成長し続ける座組でした。録画される大千穐楽にピークをもってきて集大成にする日程調整、皆様のご苦労察するにあまりあります。

映像化されて完成する作品ということでもあるでしょうか。今回がもっとも話の構造が明快に把握できたように思います。なにが舞台の上で起きているか、映画館のスクリーン(あるいは家庭のテレヴィジョン・セットなりPCの画面なりタブレット端末)のサイズで把握できるカメラワークでした。あのスピード感ある場面転換も、映画の速さだと思えば納得が出来ます。これを舞台上で最後まで無事故で切り抜けたことじたいがまず驚異的。

いくつか見切れるシーンはもちろんあります。特に演劇史に残るかもしれないあの清廉で凄絶な武市瑞山切腹シーンが見切れるのは非常にもったいない。ぜひ円盤化のさいには収録していただきたいものです。

そして物語の輪郭は「元主」と刀剣男士の薫習のエピソードに注目するととても鮮やか。
以蔵さんと肥前くんが分かち合う「斬りたくないのに斬らなければならない」悲劇。
肥前くん、斜に構えていますけれど良い子ですね、彼だからこそ人間離れした身体能力ゆえに「天誅」の大義名分を師から与えられた「人斬り」のアイデンティティにくるしむ以蔵さんに寄り添ってあげられる。
「朧」だからこそすれちがう武市先生と南海先生。
異形化してはじめてほとばしる武市先生の遺志への未練と人間くささと、人を随わせる声と、生涯一剣客として生きたひととしてのリアリティを伝える殺陣が、そして南海先生の自我の目覚めと殺陣の洗練が今回もっとも際立っている。
国民的英雄の実家の家宝が国民的英雄の風姿によって薫習されて霊格を高めるむっちゃんと龍馬の関係。
ほんとうにほんとうにどこまでも爽やかなふたり。汗の軌跡すらもさわやかだ。
朧の「元主」のなかにロールモデルを求める同輩たちに接して、不在の「元主」の面影と忠誠心を幻視する兼さんと堀川くん。
長い長い退屈を「特命調査」の驚きで紛らわせる鶴丸国永と「父」ならではの洞察で「朧」の実態を見抜く小烏丸。
「物語をくれ…」と時間遡行軍の姿で現れ、鶴丸の危機を救ってやる山姥切国広。

いずれの物語も大千穐楽に至って非常に明晰にあらわれます。
映像化されればなおさらです。
「朧」の歴史人物たちの「敵キャラ」としての階級が明示されるプロジェクションマッピングも効果的でした。

以蔵さんの物語に軸を定めることで、朧の文久土佐藩が朧だからこそ抱える矛盾を浮き彫りにするカメラワークでもあったように思います。
「以蔵さんは犬じゃないき。以蔵さんは以蔵さんじゃ」とかばう龍馬。彼と心通わせた刀剣男士たちにはじめて「人間」扱いされてあたかもその一員であるかのように一行と心通わせる以蔵さんが、「ほんとうは斬りたくなかった」ことに気付く。

人間離れした身体能力ゆえに、師匠の野望の達成のために手足として使われてきた以蔵さんが異形となり、彼を斬らなければならなくなった肥前くんが思わず涙する。ここをとらえるカメラワーク。映像化ならではの功績でしょう。ここで以蔵さんと肥前くんの物語が際立ちます。

後の人が知っていることをなぜか知っている龍馬。

アンサンブルのトップが乾退助(板垣退助)と後藤象二郎を演じていて、龍馬が「後藤さんと乾さんもおるじゃないか、一緒に脱藩せんか」と武市先生に脱藩をすすめるのもその延長でしょうか。
そして、史実武市先生があれほどに書簡を送りに送った山内容堂はここには登場しないし、「朧」の吉田東洋すら自分のアイデンティティがさだかではない。

龍馬の想像した「親友を救うはずの世界」が彼の想像力の限界によってまだらなディストピアになる。そのさまが小烏丸の「ハリボテよ」のことばからも、南海先生の「彼らはみなにせものなのかも知れない」からも痛ましく伝わってきます。
だからこそ「朧」の人々が「朧」の生を断念して散ってゆく場面は逆に晴れ晴れとつたわる。にせものはいつまでもそのままではいられない。

多重世界ものメタフィクションに託して、歴史のなかの複数の倫理を問うよい舞台でした。納得するまで見ることができたのは幸運でした。
詩の先輩からは『維伝』の感想をまとめて文学フリマに冊子体で出すことを強く勧められました。ぜひ検討したいと思います。


『歌合 乱舞狂乱』配信

御笠ノ忠次脚本・脚本統括、茅野イサム演出。

ミュージカル版特有の恒例年末年始儀礼の一環とのこと、完全に舞台版本丸とは別本丸です。エンブレムデザインにも、きらきらしたレビューを短編でつなぐオールメイルキャストのステージ構成にも、宝塚歌劇への批評的なまなざしが感じられます。なによりレビューの歌詞にほのかに恋愛要素があるのがとても宝塚歌劇です。
観衆への「あるじさま!」の呼びかけが親密感を増します。いわばあるじさまサービスがすごい。会場がときどき映ります。室内競技場の客席の闇に輝く「ひかりもの」(ペンライトとサイリウム)がもうきらっきら。ライヴビューイング映像では刀剣男士たちのアップもたびたび入ります。ミュージカル版でも二次元版に寄せたたたずまいの再現精度が高い。驚きがあります。俳優本人と衣裳家とメイク担当と照明担当のスタッフの努力と工夫の結晶でしょう。思い入れのある刀剣男士が出たり、ブラウザゲーム版に思い入れのある方にはさらに楽しいでしょう。

鶴丸を祭主にした鍛刀祭仕立てです。古典の継承を通して新しい刀剣男士を鍛え、すでに出現した刀剣男士の霊格を高める祭礼のイマージュを全面的に打ち出す仕掛けで、創作儀礼としても興味を惹かれます。


オープニングには水干姿の刀剣男士17振りを従える鶴丸の「古今集仮名序」冒頭の朗読(朗唱ではなく、朗読)を配して、歌の力を召喚します。このパートの踊りにメフレヴィー教団風の旋回舞踊があったりするのも面白い。最初からトランス状態にもってゆきます。清潔感あふれる佇まいの石切丸に導かれて刀剣男士たちが踏むお百度参りの歌にも別世界へ誘う暗い力があります。短編パートの開始部分に、万葉集古今集から引用した和歌を朗読(朗唱ではなく、披講でもなく、朗読)して鍛刀の火を分けた器にくべて短冊を燃やす場面を配しています。この祭礼が刀剣男士の霊魂を召喚し、情緒をも打ち込む意義をもつ場であることを強く意識させる構成です。
短編にはそれぞれ日本の伝統芸能や古典作品への言及があります。「本丸」の穏やかな日常のなかで刀剣男士たちが接する物語と歌がそれぞれの刀剣男士の霊格を創るというメッセージが鮮明に打ち出されています。なかでも人魂(をもつアンサンブル)を伴ってのにっかり青江の講談「菊花の契り」の出典は『雨月物語』。「菊花の契り」はまさに江戸の武士の親密な「愛情」のイメージソースになった物語です。清潔な妖しさが漂う大人の演技でした。舞台版では潔癖なまでにそぎ落とされた葉隠の恋のイマージュがミュージカル版には宿っているようです。

歴史人物では2019年の新作『葵咲本記』に登場した徳川家康と息子たちが登場、家康の死につながる鯛との遭遇を避けてショートコントを繰り広げます。時間遡行軍ですら殺陣で踊る。戦闘シーンをダンスで表現する宝塚歌劇の戦記ものを知っていると違和感がありません。優しい世界です。

圧巻はラスト20分にわたる鍛刀儀礼。舞台中央に配したかまどの前で鶴丸が「古今集仮名序」の冒頭を朗読。これが招魂の詞になります。

トレイラーと開幕前の観客対象の前説で紹介された「イネイミヒタクク」の歌がここで生きます。『古事記』の国生み神話の最後の場面、火の神カグツチを斬った原初の剣から生まれた八柱の神の名を縦書きにしたものを横読みする呪歌です。これに鍛刀と胎内の人体の形成を想起させる呪歌を続けて歌う。一人一人に見せ場があります。

このパートの音楽はバルティック・ミニマリズム風の曲想で(トルミス作品や、西側に出てキリスト教色を前面に出す前のペルト作品も連想させる)、水干姿の刀剣男士たちがマルカート気味に歌います。

仏教の八苦が刀剣男士の霊格に流し込まれ、闘う使命も付与される。この霊格観に創作儀礼のなかの神仏習合要素をまざまざと感じます。そして旋回舞踊のトランス。ミュージカルなのにあえて歌唱力を揃えないキャスティングはこの祭礼部分のためにあったのか、という発見があります。呪歌は歌唱力がありすぎてもいけない。最後に新刀剣男士誕生、「あなめでたや」の歌を歌います…が、「ふくふく」はどうなの…新刀剣男士・松井江が水干姿の先輩たちに囲まれて周囲の状況に茫然とするさまはまさに生まれたて。ここに心を掴まれる方もあるでしょう。
この鍛刀儀礼を見るだけでも価値があります。宗教学の講義で創作神話による創作儀礼の事例として見せられそうです。

18人中飛び抜けて歌がうまいのが蜻蛉切役のSpiさん。きれいなファルセットも使えている。ミュージカル経験豊富とのことです。姿もほんとうにアニメーションから脱け出てきたような美男子です。祭主の鶴丸も艶のある低音でやはり祭主に選ばれるだけのことはある。飛び抜けてうまい組に入ります。
次のグループににっかり青江、兼さん、堀川くん。堀川くんは兼さん・にっかりさん・蜂須賀さんの風呂上がり雑談シーンでギター弾き語りを披露します。
このレベルで歌唱力を揃えられないものでしょうか。ミュージカルの肝はやはり歌。若手俳優の登竜門ともききますし、せっかく古典へのレファランスと歌の力をうたう舞台なのですから、ミュージカルそのものとしての発展が期待されます。歌唱力が揃わなくても祭礼だから許せるような気分にさせるのは、成長途上の芸を鑑賞する風土があるから許容される造りでしょう。

ミュージカル版の過去作品では『曽我物語』のアダプテーション作品もあるとのことですので、機会をみつけて見てみたいと思います。