ホッキョクウサギ日誌

なかにしけふこのブログ。宗教学と詩歌文藝評論と音楽と舞台と展示の話など。

「スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチとの対話」に行ってきました(2016年11月25日・東大本郷、なかにしけふこのツイッター(@mmktn)より聴講メモを再録)

「スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチとの対話」に行ってきました。
(主催:東京大学大学院人文社会系研究科現代文芸論研究室、後援:日本ペンクラブ、協力:岩波書店・沼野科研)

公式告知はこちら。

20161125 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチとの対話

とても濃密な105分でした。
アレクシエーヴィチさんの包容力ある柔らかいアルトの声にこもる不屈の精神を感じました。
本郷の2限の時間帯でしたが、会場は超満員、立ち見も出ていました。
「きょうはアレクシエーヴィチさんに語れるだけ語っていただくのが司会者の使命です」。沼野充義先生による司会とオーガナイゼーションが見事でした。匠の技です。
同時通訳者は露日・日露2名、素晴らしい仕事でした。感服です。
聞き手の小野正嗣さんからの質問も、まさにそこがききたかった、とアレクシエーヴィチさんの著作の読者が思うポイントを的確に把握していてたいへんよかったです。

ツイッターに当日のリアルタイム聴講メモを放流しましたが、そのまま流れていってしまうのはもったいないのでこちらに収録します。ご本人も通訳の方ももっとすばらしい表現で語っておられた部分もありましたが、メモ書きでは充分にそのすばらしさがつたわらない憾みがあります。もっと詳しい聴講記をSNSで報告されている方もいらっしゃるかと思います。後から記憶で補足した部分もありますし、聞き落としなど至らない点もあるかと思いますが、ご参考になれば幸いです。

〈パート1〉
小野正嗣
少女時代はどのような少女だったか。小説ではなくノンフィクションを選んだのはなぜか。

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ:
 人生観は子供の時に形作られるもの。両親は村の学校の教師。私も村で育った(※ソ連時代の学校は小中高一貫)。大人になると人は大衆として似たような存在になるが、子供は一人一人独特の存在。
 両親が教師だったので書物がたくさん家庭にあった。自身も書物の人であると感じる。しかし、路上や戸外のことはより面白かった。女性たちが戦争体験について語っている場がとても印象的だった。女性たちは武勲について語らず、出征した男性の不在の日々や、出征当日の様子について語ってくれた。
 子供の頃は夏にウクライナの祖母のもとへ行っていた。祖母はメタファを用いて戦争を語った。それはホラーであると同時に、詩的な悲劇であると感じられた。
大学ではジャーナリズムを専攻し、実習では戦争についての聞き取り調査を行った。まだ人々の記憶のなかに戦争が生々しかったので、多くの体験談をきくことができたテーマだった。悪は善よりもはるかに芸術的であり、殺人にさえもクリエイティヴな喜びがあるという印象を受けた。
 戦争について聞き取り調査を行ううちに、男性は歴史に立脚して語っていて「歴史の人質」になっているが、女性たちの語りははるかに自由で、肉体的な生理(biology)と宇宙観(cosmos)に基づいて語っているように感じられた。男性は人間の苦しみについて語るが、女性たちは人間の苦しみ以外に、生き物や大地や植物の苦しみについても語っている。
 証言をまとめるとき、村で育った経験に助けられた。村の生活は自然と密接に結びついている。それと同時に、(わが国の)歴史は痛みの歴史である。
 戦争について「沈黙」はしていない。戦争についての本は先行例がたくさんあったが、私は違う時代の人間なので、それまでの本と時代のように冷たいヒロイズムには与さない。冷たいヒロイズムの特徴は、人間の命に価値はない、自分を大きなものに捧げることが大事という考え方。それは全体主義の特徴でもある。
 (インタビューのさいの)質問内容は私が関心を持っていることのみ。すでに尋ねられていること、アーカイヴ化された記憶を反復するような内容を繰り返し尋ねることはしない。時代の紋切り型、時代のバナールさから身を引き剥がすこと、時代のヒーローをそのようなぬかるみから引き剥がすことが必要。

小野正嗣
 あなた(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ)の作品には文学を愛する人々が出てくるが、彼ら彼女らは本は無力だと語っている。文学が人生を教えてくれない状況がチェルノブイリ以降、1991年以降に登場した。それでも本を読まなければならない理由はなにか。

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ:
 ロシアの文化の中心には文学がある。ドイツでは音楽、イタリアでは建築があるようなものだ。ロシアの文化における言語中心主義を全体主義体制が用いた結果、ことばが絶大な権威を持ち、個人の人生に大きな影響を与えるようになった。他のものがみな閉ざされていたからだ。
 ソヴィエト時代には書物とは秘められた関係を築くことができた。閉ざされた世界の中で、書物とは一対一で相対することができたからである。1991年以降は世界の全てが私たちのところに押し寄せて来て、世界の一員であることを感じることができた。
 ソヴィエト時代では文学を読む人であること、その連帯感が作家の固有名詞に言及することで確認できたが、ソヴィエト崩壊後には趣味趣向によって人々は分断された。
 ソヴィエト時代には文学作品の書籍販売に行列ができたが、ペレストロイカ以降には西側世界のマテリアルカルチャーへの適応と体験が重視されたので、書物は後回しになった。本が唯一の情報源ではなくなったのであって、本が忘却されたわけではない。開かれた世界の中で情報源が多様になった。
 ペレストロイカ時代の思い出。ポーランドからベラルーシへの帰途の列車の車中で、行商人の男性に聞かれる。「あなたは本をたくさん読んでおいでだが、私のように商売ができますか。商売で儲けることができますか」。男性はベラルーシで釘を仕入れてポーランドで売り、ポーランドで電化製品を仕入れてベラルーシで売っていた。世界中が同じようになってしまったという感慨を覚えた。
 30年間「赤い人」たちのユートピアについて問うてきたが、そこでは美しいはずの世界は血の海になってしまった。それがどのように形成され、崩壊したかに関心がある。

(関係者紹介・挨拶タイム。翻訳者の松本妙子さんより挨拶。『セカンドハンドの時代』を翻訳しているうちに、あたかも自らの手が血まみれになったような感覚を覚えた、自分はタフなほうだと思っていたが、決してそうではないことに気づいた、とのコメントが印象的。)

〈パート2:日本ペンクラブより質疑タイム〉
下重暁子(挨拶と質問):
諦めの境地という日本文学の伝統、想像力のなさが嘆かわしく感じる。お考えを伺いたい。

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ:
 現代はとても難しい時代で、人々は回答を過去に探している。保守主義の台頭に反映されている。民主主義は壊れやすいもので人々は未来を信じられず、セカンドハンドの思想を信じようとしている。ハンナ・アーレントが言ったように、人々を励まし勇気付ける存在としての知識人の役割が重要になる。
 いままでは人は消費によって満足を得ていたが、消費にすら人間は満足できなくなった。新しい哲学が必要だと思うが、特に旧ソ連のような国ではそのようなものが出てきにくい。足元が不確か。新しい国を作る機会はそうそう巡ってこないだろう。
 作品で人を脅かそうとするつもりはなく、人間の魂や精神、理想主義を伝えようとしてきた。こんな時代だけれど、想像力を忘れてはいけない。全体主義ファシズムですら勝利することができなかったのだから、絶望してはいけない。

吉岡忍:
(『死に魅入られた人々』について)自殺者に取材対象として関心をもったのはなぜか。

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ:
 それまで信じていた理念を信じられなくなってしまった人々の存在に関心をもった。共産主義の奴隷になった人々、共産主義という黒魔術に魅入られた人々がその事例である。自殺からの生還者が共産主義という理念に一体化する恍惚を語り、その時死んでも惜しくない、と自らの命の価値をあまりに軽く扱っていたことに震撼した。

 あまりに大きな国、大きな空間は空洞である。それに対峙する人間には自らに価値がないかのように感じる。 ゴルバチョフと少数の民主派は大衆と同じ言葉をもつことができなかった。人々はただ、よい生活を望んでいただけで、新しい体制への想像力が働かなかった。
 プーチンは「偉大な指導者」として自らを提示し、大衆に馴染む既存のマトリックスを提示した。そのことはとても危険なことである。

〈パート3:報道各社質疑タイム)

プレスより質問・1:ジャーナリストに必要な勇気とはどのようなものですか。
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ:
 ジャーナリストはより謙虚であるべきだと思う。専門知識や感受性がジャーナリストだからといって優れているわけではない。それぞれの職業に携わる人々のもつ専門知への敬意が大切。勇気というものはプロフェッショナルの倫理としてもっていなければならないものなのではないか。
 感情面での勇気よりも思想面での勇気を高く評価する。陳腐な発想や思想を繰り返さない勇気が大切。


プレスより質問・2:(『戦争は女の顔をしていない』について)インタビュイーに質問しにくかった内容はありますか。
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ:
 『戦争は女の顔をしていない』について) 愛の話題とスターリンの話題は質問しにくかった。祖父母の世代では愛に関する考え方が全く異なり、言語化されにくく、ロマン化されている。愛と若さは密接に絡み合っていて分けることが難しい。占領地での強姦についても質問しにくかった。
 独ソ戦での勝利を話題とすることが社会のなかで避けられてきた。ドイツのファシズムソ連ファシズムの衝突だと理解していたのは非常に少数の人だけ。
 自身の父親の言動を回想してみても、共産主義を信じていた人からそのひとの人格のひとつになっている共産主義を分離することは非常に困難だった。

プレスより質問・3:福島で人々は語りたがらない。カタストロフィを語る文学として証言形式を選んだのはなぜですか。
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ:
 数十年にわたるカタストロフィをどのように語るか。カタストロフィの語り自体がカタストロフィになってしまうことがある。 チェルノブイリを扱ったフィクション(小説、映画)はみな成功していない。まだ文化のなかにそのカタストロフィが意義づけられて定着していないからだ。
 チェルノブイリ事故時に放射線封鎖のために上空から砂をまいて被爆した操縦士の談話が記憶に残っている。「自分はこの状況が理解できない。あなたにも理解できないだろう。しかし、後の世代が理解できるかもしれない」。

プレスより質問・4:泊原発について北海道で講演されたことがありましたが、そのときの印象をおきかせください。地方の可能性についてお考えをおきかせください。
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ:
 北海道の風景は素晴らしい。生まれ故郷との共通点がある。泊では、広々と自由な風景のなかに原発の風変わりな建物があり、自然とテクノロジーの共存に美しさを感じた。しかし、死と美は隣り合っている。そのことはときとしてトラウマになる。
チェルノブイリが起きたのはソ連の人々がでたらめだからではないか。日本ではそんなことはない」とそのとき日本人技術者からコメントされたが、そのようなことを言っていた人々が、(東日本大震災原発事故を通して)文明がごみになる場面に直面した。人間は自然界において占めるべきではない位置を占めてしまった。
 これから人々は大都市から逃げ出すようになり、そのとき全く新しいテクノロジーを手にするようになるだろう。東京の上空からの航空写真を見るととても非人間的にみえる。これからの人たちは東京を離れ、北海道に移住するようになるかもしれませんね。(会場笑い)

プレスより質問・5:東日本大震災以後、原発はこれからもなくならないと思いますが、これからの自然との共生についてのお考えをおきかせください。
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ:
 ベラルーシでの私の住んでいるマンションでは一世帯で二台も三台も自家用車をもっているひとたちがいます。このような考え方では原発はなくなりませんよね(会場笑い)。自然は人間に判断を示していると思う。これからどのように自然と共生してゆくか、別の考え方が必要。別の考え方が作れない限り、原発はありつづけるだろう。時代の変化がとても急激なので、古い哲学ではその挑戦に立ち向かえない。技術が新しい形の戦争に形を変えている。
 チェルノブイリからバスで避難するひとびとが、飼っていた動物をおいてゆく。そしてなぜ避難しなければならないのか人々が分かっていない。これは新しい戦争のかたちだと思った。

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以上です。信じていたものがこわれてゆく時代をまのあたりにして精神的な危機を迎えた人々、時代の変容に対峙する新しい考え方が作れないで苦しむ人々、そのような状況が顕著にあらわれる時代を専攻している歴史学徒・思想史研究者のみなさんにもぜひ見ていただきたかった対話集会でした。「歴史の人質」「思想という黒魔術」「思想の奴隷」など、すばらしい表現も数々ありました。
(西洋古代・中世研究を志す若人のみなさんも、ぜひアレクシエーヴィチさんの著作を読みましょう。)