ヒロ・ヒライさんのBHチャンネルで『ヒュパティア 後期ローマ帝国の女性知識人』の翻訳に関するインタビューの機会をいただきました。
YouTubeへのリンクはこちらです。
youtu.be
私の博論から本書の出版に至るまで、ジェンダーと学問、新プラトン主義者の生態、今後の展望など盛り沢山の話題です。
考えながら喋っています。フィラーとカメラ映りには眼をつぶってください。
プレミア上映時のTwitterコメントのまとめはこちらからどうぞ。
なお、この後1月8日に宗教社会学者・橋迫瑞穂さんとのB&Bでの対談があります。
配信の告知はこちらです。
bookandbeer.comチケット買えます。アーカイヴもあります。
BHチャンネルでのインタビューとはまたひと味もふた味も違う内容になります。ジェンダーとフェミニズムの話題多めです。ぜひご参集ください。
https://bb20220108.peatix.com/
さて、BHチャンネルプレミア上映でいただいたご質問へのコメントと、動画・コメント欄で言及した書籍の書誌データをまとめました。
【出版について】
長期休暇中に集中して訳出作業を進めました。途中で作業が中断したこともありましたが、訳出にかかった時間は全体で1年くらいです。校正段階でも途中で作業が中断したこともありまして、結果的に翻訳から念校まで全体で3年くらいかかりました。今回はヒライさんとのTwitterでの会話がきっかけで白水社からお声がけいただきました。
なお、本書のみならず、Twitter経由でいただいたお仕事がたくさんあります。
みなさまどうぞよろしくお願いいたします。
ワッツ先生はナイスガイですし、ワッツ先生のほかのご著作も面白いです。どれか翻訳紹介できるといいなあと思っています。
装幀に遣われている絵は《アテナイの学堂》です。ヒュパティア、とされている人物のモデルは男性で、服も5世紀の婦人服ではないですね、ストラはつけていますが。
装幀はFragment兎影館・柳川貴代さんの作品です。原著の表紙でも《アテナイの学堂》の図像が遣われていますが、日本語版の装幀ではさらにアレクサンドリアの海の感じが出て素敵です。
【博士論文と『ユリアヌスの信仰世界』(慶應義塾大学出版会・2016年)について】
1990年代から2000年代はユリアヌスの新プラトン主義を扱うときにまだまだ工夫が必要な時代でした。
博士課程入学が1999年、学振PDをとって満期退学したのが2003年、博士課程に再入学したのが2009年です。2010年3月に博士論文を提出した後、2011年3月に口頭試問がありました。口頭試問の直前に東日本大震災が起き、当時住んでいた家の私の書斎の書棚が崩壊しました。ほんとうにたいへんでした。制度の変化と時代とともにあった博士論文でした。
1990年代から2000年代はまだまだ「女性だからフェミニズム視点の宗教史を書くなんて……」と目上の人から言われがちな時代でした。博士論文は結果的に、「君主にふさわしいローマ男子らしさ」「リスペクタブルな生き方」「哲学的な生」を書物から学んだ学僧気質の貴顕の男の子の成長物語と精神的形成を扱ったものになりました。
なお、ユリアヌスはキリスト教とは子どもの頃に出会っていて、はたちくらいのときには首都コンスタンティノポリスの教会で聖書朗読も担当していました。学問好きの若い帝室成員として市民からも人望があったようです。
ユリアヌスが、在来の宗教儀礼や私的神託による「神々との出会い」の効用を重視するイアンブリコス派新プラトン主義と出会ったのは20代に入って小アジアの新プラトン主義者の学塾を遍歴した経験によるものです。イアンブリコス派新プラトン主義はヒュパティアの時代にはアテナイで人気がありました。ヒュパティアは、学ぶ人の宗教的帰属を問わず広くさまざまな人に開かれたプロティノスとポルピュリオスの系譜の新プラトン主義を支持していました。
【受容史について】
ロマン主義的な評価はやはりヒュパティア研究でも見直しの対象です。本書ではチャールズ・キングズリーの小説『ヒュパティア』のすさまじい歴史改変ぶりにも言及があります。キングズリーのヒュパティア観はロマン主義的ミソジニー山盛りです。(本書ではキングズリーのマッチョな神学思想が「筋肉キリスト教」と表現されており、訳していて思わず「なんだこれは」と笑いで腹筋が崩壊しそうになりました。
ユリアヌスの日本での受容については『ユリアヌスの信仰世界』の「研究史」の章でも論じています。辻邦生のユリアヌス像は「フランスになじめない日本の文学青年のぼく」の自画像ですね……自己憐憫的でロマンティックにすぎると思います。江藤淳から「フォニイ」として批判されるのももっともだと思います。
なお、最近のユリアヌスもののアダプテーションでは、National Theatre Archiveで見たイプセン原作『皇帝とガリラヤ人』(ベン・パワー台本、ジョナサン・ケント演出、アンドリュー・スコット主演、2011年上演(←震災の直後の夏休みで見に行けなかったのでArchiveで記録映像を視聴))がすごくよかった。原作をそのまま上演すると8時間かかるところを『リーマン・トリロジー』の台本も担当した劇作家ベン・パワーが2時間半に圧縮、アンドリュー・スコット演じるユリアヌスがとてもチャーミング、イアン・マクダーミド演じるエフェソスのマクシモスのあやしいGURUぶりが絶妙でした。
【女性史と学問】
古代末期のアレクサンドリアの錬金術師にはけっこう女性がいますね。当時の小アジアや北アフリカのギリシア語世界にはわりと女性の知的な活躍の場があったほうだと思います。
ヒュパティアの場合、父親から家業として継いだアレクサンドリアの学校を潰さずに経営してゆくためには、教育の基本に立ち戻って誠実に歩まざるをえなかったし、誠実に歩んでいった結果として、シュネシオスのような社会のリーダーとして信頼できる人柄を備えた優れた弟子を育て、人望を得たというところが感動的です。知のおかあさんですね。
お金がないと男子も勉強が続かなかった時代です。中世ではエロイーズやビンゲンのヒルデガルトがそうであったように、ある程度の資産のある良家の子女だったからこそできた学問でした。
父親が漢学者なので漢籍が読めたけれど、女性だったので宮廷に出仕した紫式部や、折口信夫が『死者の書』で書いた藤原南家郎女(中将姫)が、父親のもろこし土産の漢訳仏典を読みふけって周囲の女性たちに疎まれる場面も思い出されます。
葛飾応為も父親の仕事を継いだ人でしたね。
私自身、フェミニズムへの関心は学部生のころからずっとあって、駒場のフェミニズム連続講義の授業をとったりもしていました。学校で教えるようになってからは割と女子多め校に勤めることが多かったこともあって、つねに目配りを忘れないようにしていました。
ここ5年でぐっとフェミニズムに対する読者の関心がアップしたように思いませんか。MeToo以後でしょうか。ポスト・フェミニズムにも、リーン・インにも、カワイイフェミニズムにもなじめなかった人にも、MeTooはわがこととして受け止められたのだと思います。
なお、ヒュパティアは女性のエンパワーメントにとって非常に重要な人物で、本書に先だって刊行された『哲学の女王たち』でもヒュパティアを含めて女性のエンパワーメントに資する哲学者たちがとりあげられています。
理科系の人にもぜひ読んでほしいです。特にジェンダーバランスの極端な教育現場に悩む先生方や学生さんにはお勧めしたいです。
古代末期の女性とジェンダーの話題は、意外にも現代にも通じる話題が非常に多いです。母と子、宗教家庭、女性の職業と精神世界。突き抜けた本を作りたいと思います。おたのしみに!
【今回の配信でふれた本】
エドワード・J・ワッツ、中西恭子訳『ヒュパティア 後期ローマ帝国の女性知識人』(白水社、2021年) Amazonへのリンクはこちらです。もっと読みたくなる内容のインタビューになりましたので、未読のかたはぜひ。
『ユリアヌスの信仰世界』もどうぞよろしくお願いします。
南川高志先生による山川世界史リブレットのユリアヌス略伝(『ユリアヌス 逸脱のローマ皇帝』山川出版社、2015年)もぜひ。
Women in Antiquity(OUP)
※名著揃いです。さらにどれか翻訳紹介できることを願っています
global.oup.comHeidi Marx, Sosipatra of Pergamum, Oxford, OUP, 2021
※カナダで学んだ女性宗教学者・宗教史家によるペルガモンのソシパトラ伝。
『ヒュパティア』とセットで読むとさらに広がります
井上浩一『ビザンツ皇妃列伝』(筑摩書房、1996年、白水社、2009年)
井上浩一『歴史学の慰め アンナ・コムネナの生涯と歴史』(白水社、2021年)
※やはり井上浩一先生のこの2冊に非常に励まされました。偉大な先達です。
Henrik Ibsen, Emperor and Galilean, in a new version by Ben Power, Nick Hern Books, 2012 (『リーマン・トリロジー』のベン・パワーによる台本のテキストレジストレーションがみごとです。電子版あります)
レベッカ・バクストン、リサ・ホワイティング、向井和美訳『哲学の女王たち もうひとつの思想史入門』(晶文社、2021年)
※こちらも評判よいですね。『ヒュパティア』の副読本としてすでにお読みの方も多いと思います。