ホッキョクウサギ日誌

なかにしけふこのブログ。宗教学と詩歌文藝評論と音楽と舞台と展示の話など。

岡野弘彦『折口信夫の晩年』を読みました

たいへんごぶさたしておりました。みなさま新年度いかがおすごしでいらっしゃいますでしょうか。こちらには随時折口信夫とその周辺関係のゆるやかな読書日記をUPするコーナーを設けました。「折口信夫とその周辺」タグです。そこで本日のエントリです。


岡野弘彦折口信夫の晩年』(初出1969年、中公文庫版1977年)を入手しました。津の神職の家庭に育った青年が国文学を志し、学徒出陣をはさんで國學院大学に復学した昭和20年から胃癌で折口信夫が逝去する28年9月までの記録。やはり実作する学者の文章で、新倉俊一『評伝 西脇順三郎』に匹敵する傑作です。
折口信夫の晩年』は、国家神道の猛威ののちの荒野の時代にあって、「神道宗教化論」に立って真摯に神道という宗教の来し方と現在と未来を問おうとしていた折口自身の祭祀と民俗と鎮魂の日常的実践の記録でもあります。神職の血をひく国文学者・歌人として、神ならぬ神官としての天皇の存在意義や大きな声をもたないものや地域の無名の神官の祭祀に思いをはせ、戦争で最愛の門弟を失った悲傷と鎮魂に生きる折口信夫。その生活世界と日常的実践を記録する岡野弘彦の筆致には、地方の神職家庭出身者ならではの記録と鋭い洞察があります。それは国家神道の世界像のアーティフィシャルな底の浅さと神道非宗教説の限界を照射する視座でもあります。たんたんと描かれていますが、折口春洋記念祭の模様は鎮魂儀礼の案出の挿話としても圧巻です。

ところで加藤守雄『わが師折口信夫』(初出1967年、朝日文庫版1991年)では、肉体をもって愛の返礼を要求するクィア・ポエット折口先生エピソードがでてきましたが、本書ではそのような逸話への言及がありません。おそらくは社会人になってから師と再会した加藤先生の状況と、現役学生として師の家に寄宿するようになった岡野先生の状況の相違と、岡野先生自身が現役の國學院大學の教員だったころの著作であることも大きいでしょう。
折口信夫の晩年』では、書生に愛の交歓を迫るかわりに張り詰めたような性的禁欲を強い、(もうコカインを鼻につめていないとはいえ樟脳をかじったり辛みをいやましに加えた歯磨き粉を自作したりの)薬品オーバードーズ気味の生活と「ケガレ」を厭う潔癖症と子供っぽい気まぐれで起居をともにする人々を翻弄する折口信夫の暮らしぶりが精緻に描かれます。もちろん折節に含蓄ゆたかな言動で同居人たちを「ほうとした心」へ導くのですが、天衣無縫の異能の人と生活をともにする苦労もまたしのばれます。戦後の食糧難の時代にも美食家を貫く折口先生に応えるためにつねに家計はエンゲル係数高めで火の車。果実類を贈り物でいただいても、好意に応えて食べなければならないと思いつつ果物が苦手な折口先生、潔癖症なのに積んだまま腐らせてしまったりもして書生・岡野くんを驚かせます。
物静かで忍耐強い住み込みの家事手伝いの女性たちも、ときに女性恐怖をむきだしにする気まぐれな家主に仕える緊張感に耐えかねてか次々にやめてゆきます(なお、住み込みの書生と恋愛関係になったり、折口先生が好きすぎて折口夫人になろうという気を起こしたのを先生本人に気取られたりしたら即解雇。厳しいですね)。なかでも春洋さんの教え子の婚約者で折口邸に太平洋戦争末期から住み込んでいた乾民子さんのエピソードが胸にしみます。戦中戦後の混乱のなかでけんめいに白米を蓄えて折口邸の生活に貢献した彼女も、ついに折口先生の気まぐれに耐えかねて郵便受けのなかに小麦粉でこねた団子を三つ供えて出奔してしまうのです。
折口邸に住み込んで晩年の家政を助けた矢野花子さんや、穂積生萩さんをはじめ折口邸を訪ねる忠実な女性の弟子たちにも容赦なく気まぐれをもって応じる折口先生です。穂積生萩さんが大石出石町の家の庭に植えた芝桜を「穂積草」と呼び、「穂積草は君に似て我の強い草だねえ」と言ってみたり、矢野花子さんにも折りに触れてやつあたりします。昭和初期の女性の強さと忍耐に思いをはせざるをえません。
穂積生萩『執深くあれ』は井村君江日夏耿之介の世界』に通ずる昭和のボーイズランドの特権意識と閉鎖性を暴く著作でもありましたが、矢野花子さんや乾民子さんの回想録があったらぜひ読んでみたいです。まずは角川短歌創刊号の追悼特集でしょうか。
家の雰囲気は暗かったわけではない、折口先生の天衣無縫の性質と美食家健啖家ぶりが人をたのしませる側面もあった、との描写も印象的です。片栗掘り遠足や散歩のエピソードをはじめ、巨匠の巨匠なるゆえんをしみじみと伝えて同居人たちを「ほうとした心」に導く挿話も多々語られます。しかし、起居をともにする弟子たちの身になってみれば、師の強烈な存在に圧倒されているだけではとても日々の生活がたちゆきません。『折口信夫の晩年』は、ジョージ・スタイナー『師弟のまじわり(Lessons of the Masters) 』など顔色なからしめるような自我と自我のぶつかりあいエピソードに充ちています。鈴木金太郎さんや春洋さんには父を諌める息子のような強さがあった、ただ従順なだけでは長期的に起居をともにすることができなかった、という岡野先生の回想が示唆的です。反骨精神旺盛な人はもとより、天才に対して腫れ物に触るように接する人もたいへんに消耗するでしょう。なにより師の気まぐれとぶつかって書生を辞して去らなければならなかった痛みは生涯容易に割り切れることはないでしょう。かといってただ心酔しているだけでも師弟関係は続かない。巨大な才能にのみ込まれずに生きる強さというものを考えさせられます。
折口信夫の晩年』では、室生犀星一家がじつにいいバイプレイヤーぶりを発揮しています。『わが愛する詩人の伝記』にも登場するエピソードが折口信夫とその弟子の視点から描かれます。苦労人の犀星先生がひりひりはりつめる折口先生をいなして包容力ゆたかな発言をくりひろげると場面が和んでほっとします。
犀星先生の我儘をいさめるおくさまと朝子さんの様子を見た若き日の岡野先生が、生活から一切の女性の優しさと強さを拒絶しようとした折口信夫のくらしぶりに思いを馳せる場面がしみじみします。女性の存在を受け入れて暮らすことは、男性の強情や我儘に一方的に耐えることなくときにいなしたり諌めたりする存在とともに暮らすことでもあり、その結果として生活にふくよかなふくらみが生まれてくるけれど、折口信夫の生活にはそれがない。この省察は現在の男女比極端なゆえに女性に限りなく名誉男性化することを暗に強いる場所にも言えることでもあり、たいへん示唆的です。

最晩年の看取りエピソードが壮烈です。本書では西脇順三郎にお別れに行く話もちらっとでてきます。若き日の岡野先生は書生として、神経痛と胃癌の末期症状に苦しむ折口先生の介護生活に巻き込まれてゆきます。体調を少しでも楽にするために指圧を学び、髭をそってやり、献身的に働きます。男性の門弟が男性の師を介護する生活がさらりと描かれていますが、葬式代だけを残して常世へ旅立った師の死と遺品整理と鎮魂に至るシークエンスは、終末期の尊厳ある看取りと身近で切実な死者の記念と鎮魂という現代にも重い課題を示唆するものでもあります。弔問に来た先輩に「君たちはアプレだ。大アプレだ。先生をこんなにしてしまって」と叱られ、おろおろと火葬場の外の花壇でへたりこんでしまった若き日の岡野先生を、池田彌三郎が「しっかりしなさい」と励ましに来るエピソードと、折口邸の守り神として神棚に設置されていた津軽・金木町の河童像から魂を抜いて水を出石町の神社の池に返しに行くところなど号泣ポイントでした。
弟子のみた折口先生で本書けたら面白いかもしれません。まずは応用倫理学・死生学の論文を折口信夫の看取りと鎮魂エピソードで書きたいものです。さまざまにアイディアはふくらみます。先行研究おそらくないはずです。

ところで、おんなぎらいの教父は初期キリスト教やビザンティン文献で慣れているとはいえ、あまりに粗野なおんなぎらいをむき出しにされるとあーまた言ってるよ女でごめんなさいねー21世紀人はそのまま実行しないでね!と思う私ですが、折口信夫の文章の場合、自身のクィアジェンダー意識に向き合おうとしているところや内なる女性性をもてあましているところが感じられるだけ、鼻にコカイン詰めて書いているのだろうなと思える晦渋な部分を除けば、読むのはそれほど苦痛ではないです。現在以上にジェンダー役割分担の明確な社会のなかで、職能上超男性として生きざるをえなかった人が想念の世界では巫女となってみずからの内なる女性性を生き、日々の生活のなかではクローゼットからどうしてもはみだしてしまう。そんな人が身近に家政婦をおき、女性の門弟の訪問も許していたわけですから、折口信夫の内なる女性性と生活世界における女性恐怖の問題はもっとデリケートで多層的な問題であるように思われます。一刀両断に即断できない部分もあります。もうすこしさまざまに考えてみたいです。
『わが師折口信夫』と『折口信夫の晩年』で言及されるエピソードのなかには、現代の大学や文学の世界でも可視化されにくい場所に展開される年少の同業者に対する愛情と意欲の搾取や、現代の大学ならば間違いなくハラスメント委員会出動案件の挿話も多々あります。距離を持ってみればやんちゃでほほえましく映ることも、当事者にとってはつらいものだったりもすることもあるでしょう。巨匠のあまりある学識と詩への情熱と人間的魅力に惹かれるがゆえに、悪気のない日々のハラスメント的言動をなんとか受け流そうとする弟子たちの姿勢がじつに涙ぐましいのです。上下関係の厳しい業界で「目上」の横暴に耐えるひとびとにとってはそこが共感ポイントでもあります。大歌人による年少の同性の同業者に対する性的搾取の告発は、そして最晩年の大歌人の弟子に対する悪気のない気まぐれの回想は、初出時どのように読まれたのでしょうか。書評をさぐってみたいところです。

加藤守雄『わが師折口信夫』と岡野弘彦折口信夫の晩年』は、ジェンダースタディーズに関心のある人と折口信夫研究に詳しい人と読書会をしたい二冊です。その機会がとぼしいのでここに置いておきます。



師匠と学生のあいだの信頼にもとづく放牧体制で育った者としては、短歌と学問の巨匠と門弟のあいだの古風な師弟関係は神話的な別世界のようで非常に興味深いのです。折口信夫と私のようなものが実際に接したら好かれるかどうかはわからないのですが、彼の底なしの詩を真摯に生きるクィアな天才なところから目が離せません。あと10年生き永らえればベンジャミン・ブリテンとピーター・ピアーズの来日に遭遇できたでしょうし(1956年来日、《カーリュー・リヴァー》のほかに新しいNOHオペラだって生まれていたかも!)、なんとなればあと20年生き永らえればスウィンギン・トウキョウの寵児にもなり、みしまくんを見届けることもできたでしょう。1953年以降に折口信夫のいる世界線の日本文学史への想像がとまりません。
随時折口信夫とその周辺にかんする読書日記をこちらにUPします。続編を気長にお待ち下さい。