ホッキョクウサギ日誌

なかにしけふこのブログ。宗教学と詩歌文藝評論と音楽と舞台と展示の話など。

びわ湖リング配信を見るの記(ヴァーグナー《神々の黄昏》、沼尻竜典指揮、ミヒャエル・ハンペ演出、京都市交響楽団、2020年3月7日・8日、びわ湖ホール無観客上演配信)

びわ湖ホールの《ニーベルングの指輪》ツィクルス最終年の《神々の黄昏》無観客上演配信を見ました。
政府の劇場・学校・社会教育施設閉鎖要請で全国の劇場・コンサートホールが続々と公演をとりやめるなかでの大英断です。さすが、故・若杉弘音楽監督の時代から手塩にかけてオペラ上演を育ててきた劇場です。今回の無観客上演配信を実現してくださった出演者・スタッフ・関係者のみなさまの尽力に心からの敬意と拍手を送ります。
毎日新聞・濱弘明大阪学芸部長によるこの記事もぜひご覧下さい。
(前三作の「発売できる記録映像がない」は衝撃です)

mainichi.jpこちらは有料記事です。今回の上演に至る10日間のルポルタージュです。

mainichi.jp

拙宅での受信環境はiPad Air2でした(ヒューレット・パッカードのデスクトップに適切なスピーカーを繋ぐ必要は感じました)。
視聴中、ハッシュタグびわ湖リング」「BiwakoRing」でのSNS投稿も可能。実質的に発声・発言可能リモート応援上映の形態です。ヴァーグナーに詳しい音楽学者の皆様の解説もありがたい。
広瀬大介さん、森岡実穂さんありがとうございました。
お二人の尽力を江川紹子さんも紹介していらっしゃいます。

news.yahoo.co.jp
今回は字幕なしでしたので、「オペラ対訳プロジェクト」の《神々の黄昏》のページをディスプレイやiPhoneに表示しながら見ました。

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ミヒャエル・ハンペの演出は引き算の演出。大胆な読み替えはありませんが、男性登場人物の強引で利己的な無茶ぶりに翻弄されがちなヴァーグナー楽劇の女性登場人物の痛みと気高さが歌によって際立ちます。
両日ともブリュンヒルデがすばらしい(7日:ステファニー・ミュンター、8日:池田香織)。天翔るヴァルキューレの天衣無縫の歌声をつらぬくミュンターブリュンヒルデ、恋によって神性を奪われてなお神々の眷属の威厳を感じさせる池田ブリュンヒルデ。闘う女が恋に生きる運命に踏みいれて経験する不条理に満ちた世界に復讐を誓い、やがてこの手で閉じようとする最後の辞世の歌までも圧巻です。

ブリュンヒルデさまの気高い辞世の歌と燃えてやがて水没するヴァルハラに、けふこの見た舞台の辞世シーンアウォード2020、1位タイを贈りたい(もう一つは『刀剣乱舞 維伝』の武市先生の三文字切腹)。
実家、いえ、天界の苦境を訴えにくるヴァルキューレの妹のヴァルトラウテ(7日:谷口睦美、8日:中島郁子)と相対する場面では、7日のやさしい谷口ヴァルトラウテvs恋する乙女のミュンターブリュンヒルデ、8日のどこまでもりりしい中島ヴァルトラウテvs一度天界を追放された者として恋に生きる池田ブリュンヒルデがじつに対照的です。

相手役のジークフリートも両日それぞれにすばらしい(7日:クリスティアン・フランツ、8日:エリン・ケイヴス)。どこまでも天真爛漫ながら策略や回想の場面ではこの世のものではないものに魅入られたような表情も見せるフランツジークフリート、凜々しくひたむきな勢いと気品を兼ねそなえるがゆえに、ニンゲンの策略にかかる姿がかえっていたましいケイヴスジークフリート、どちらも勢いで突っ走ってゆく、ヴァーグナー好みの無垢な勇者ぶり。

フランツさん、どこかで見た方だなと思ったら2014年の新国立劇場パルジファル》(ハリー・クプファー演出)でタイトルロールを歌った方でした。茫洋とした生まれたてのパルジファルが聖槍奪還の冒険の果てに聖杯騎士団をすててダークな浄さただよう素敵なクンドリー(エヴェリン・ヘルリツィウス)とともに黄色い僧衣の曹洞禅の僧侶を伴って天竺らしきところに行く演出がいまでも忘れられません。

アルベリヒ(7日:志村文彦、8日:大山大輔)がニンゲンの女に生ませたグンター(7日:石野繁生、8日:高田智宏)とグートルーネ(7日:安藤赴美子、8日:森谷真理)の兄妹、二人を思いのままに動かそうとするアルベリヒの息子ハーゲン(7日:妻屋秀和、8日:斉木健詞)のしがらみも歌で鮮やかに描かれます。
グンターは両日とも二枚目声でかっこいい。7日の石野グンターのゴシック・ロマンスの城館の主のような弱さにつけこむあたたかい声の人間味ある妻野ハーゲン、第2幕後半から第3幕の掛け合いが絶妙です。8日の高田グンターはとてもとても立派で、指輪で世界征服をもくろむ正統派悪役声の斉木ハーゲンの策略に抗いがたく動かされてしまう哀しさがきわだちます。嫋嫋ともの優しげな令嬢ぶりの安藤グートルーネとブリュンヒルデに圧されても一歩も引かない強い大人の女の森谷グートルーネもそれぞれとても素敵です。


河の乙女たちは一日目チーム(ヴォークリンデ:吉川日奈子、ヴェルグンデ:杉山由紀、フロスヒルデ:小林紗季子)と二日目チーム(ヴォークリンデ:砂川凉子、ヴェルグンデ:向野由美子、フロスヒルデ:松浦麗)どちらも抜群。どうしようもなく悲劇に向かってゆく世界のなかで、ジークフリートよ、欲と恋に溺れないで、指輪を返さなければ世界が滅ぶの歌をうたってきらきらと妖しく光ります。遠目には異類のはなつお色気に見える衣裳(後述)が効果的です。ふだん18世紀前半以前の音楽を多めに聴いていると、水面のきらめきを表現する分散和音の輝きの屈折や不協和音や無調風に聞こえる部分もきわだって、ヴァーグナーの音楽がとても新しい、と感じる場面でもあります。こうして人は水に魅入られてゆくのか…それを体感させるような音楽でもありました。ヴァイアライララーイ!が耳に残って離れません。

冒頭のノルンさまたちは両日とも威厳にあふれていて、星空の下、ローゲの火の燃える磐に立って、世界樹を伐るヴォータンのエピソードから語り起こして天界の衰亡を語ります。これから大いなる因果の物語が閉じるのだ、と予感させる歌はやはりヴァーグナーの楽劇の醍醐味です(7日:竹本節子・金子美香・髙橋絵理、8日:八木寿子・斎藤純子・田崎尚美)。

 
ヘニング・フォン・ギールケの美術・衣裳と、斎藤茂男の照明はじつに雄弁です。これがみられただけでも実に眼福でした。
なんといってもプロジェクションマッピングの透過光の効果を生かした透明感ある配色が美しい。難破船のような岩と星空、岩のまわりに燃える世界の終末を告げるローゲの火。琵琶湖とライン河がそのままフュージョンしてゆくような渋い色調の自然描写。ランドスケープデザインはそのままドイツ・ロマン主義絵画、特にカスパルダヴィッド・フリードリヒ作品へのオマージュでもあります。月がしんしんと輝き、雲や水面が自然に流れてゆくのはテクノロジーの力。
ジークフリートの最期から葬送曲の場面も、喨々たる月夜の山稜をゆく葬列と帽子を目深にかぶって見送る老人の姿を配してしっとりと暗い色調で描かれます。琵琶湖とライン河の景物があわさる場面として描かれます。
ギービヒ邸のデザインも卓抜です。内装はしっかりとガラスと鉄骨を広い窓に用いたポストモダン建築風に改装されている設定。2幕の婚礼の場面ではその船着き場が見えます。近代産業遺跡感あるモダニズム建築のファサードが上手にあり、下手には岩のような構造物とともに近江八幡宮の漏刻によく似たオブジェが設置されています。第1幕・第3幕でもそこはかとなく窓の外に存在感を主張していました。もしかすると漏刻なのかもしれません。ローゲの火に天と地が焼き尽くされるラストシーンの炎の描写も、炎とあわさるところにラインの黄金の指輪をとうとうとつつみこむ水の描写も、テクノロジーの力で再現されます。
ニンゲンと神の眷属の衣裳は基本、19世紀ロマン主義絵画にでてくるどこともしれない「むかしむかし」ふう、ノルンたちのドレスとメイクに走るあらあらしい深緑の描線と、河の乙女たちのベージュの全身タイツとメイクに走るピンクと緑の草花萌えるかのような描線は好一対です。第3幕の岸辺の草むらに潜む河の乙女たちの上半身にそこはかとないお色気がただようのはこの配色ならではでしょう。
配信のカメラも舞台全体を写す方針、視覚情報が多すぎず歌と物語に集中できます。DVD発売時にはもっと歌手の表情を見たい人のために複数視点のズームアップがあると嬉しいかもしれないな、と思いましたが、見切れるということがないのはなによりです。

ヘニング・フォン・ギールケのウェブサイトがあります。リアリズムでネオ・ロマンティシズムの幻想絵画を描く画家です。あの装置そのものの世界ですので、お好きな方きっとおいでになると思います。これまでも日本でのプロダクションにたびたび関わってきた方のようです。

henningvongierke.de

ほんらい、東京から見に行くならチケット代(SS席25000円、私の懐具合で買えるC席で15000円)+交通費+宿泊費を出さないと見られなかった舞台です。
すばらしい舞台を無料で見せていただくのは心が痛みます。いま、政府からの上演自粛要請で閉鎖している劇場やコンサートホールや、出演そのものがなくなって苦境に立つ音楽家や制作サイドの方々のことを思えば、無料上演を美談にしてはなりません。
寸志ながら寄付もいたしました。
びわ湖ホールへの寄付の窓口(びわ湖ホール舞台芸術基金)はこちらです。
3000円から寄付できます。クレジットカード決済可です。

www.biwako-hall.or.jp
六時間、飽きることなく堪能いたしました。思い切り泣けるのは配信ならではかもしれません。でもこの内容なら会場でもタオル必携でしょう。なんといっても不条理と運命にもっとも翻弄されてきた神々の眷属が、世界の終わりをみずからの意志で閉じる物語です。SNSを通して世界中でおなじ中継を見ている人が常時11000人を超える連帯感を味わうことができました。不安な時代のなかの、上演史にのこる社会的事件でもあったと思います。
出演者のみなさま、関係者のみなさま、ほんとうにありがとうございました。