ホッキョクウサギ日誌

なかにしけふこのブログ。宗教学と詩歌文藝評論と音楽と舞台と展示の話など。

舞台刀剣乱舞『天伝 蒼空の兵-大坂冬の陣-』(末満健一作・演出、IHIシアターステージアラウンド東京、2021年3月4日ソワレ)

ブログよりお蔵だしです。

舞台刀剣乱舞『天伝 蒼空の兵 -大坂冬の陣-』(刀ステ天伝)を3月4日に見に行きました。



IHIシアターステージアラウンドは客席が360度回転する円形劇場です。
1/4円ごとに舞台を区切ってそれぞれに装置を配置、座席の回転によって場面転換を行います。視野の端まで舞台に包まれる感覚が心地よい。第二幕後半の合戦場面では絵巻物を読むようになめらかな視線の移動も楽しめます。今回はDブロック中央で見ました。緊急事態宣言下の劇場ですので50%収容、2時間上演時間繰り上げでかなり観劇を断念したかたもおられたようです。

「改変された世界」と史実のきわにある大坂冬の陣(1615年)が舞台です。幼くして死にわかれたあの偉大すぎる父・秀吉の遺した「天下人」像の重圧に悩み、戦国の世の華々しい時代には「間に合わなかった」ことをうっすら自覚しながらも、負けられない「初陣」に臨む豊臣秀頼(小松凖弥)。脇役にとどまらない存在として歴史に名を刻む野望が捨てられない真田信繁鈴木裕樹)。秀頼の出生の秘密を握って謎めくたたずまいの家臣・大野治長(姜信雄)。戦場で華々しく死ぬ夢を諦められない自称老残のたぬきおやじ・徳川家康(松村雄基)。ここに織田信長に従僕として取り立てられたモザンビーク出身の黒人奴隷・弥助(日南田顕久)が絡みます。
大坂の陣の史実からの逸脱を未然に阻止しなければならない。その使命を負った刀剣男士たちが派遣されます。隊長は舞台版本丸の近侍・山姥切国広(荒牧慶彦)。ここに豊臣縁の因縁を負うかたなたちが加わります。宗三左文字佐々木喜英)、一期一振(本田礼生)、骨喰藤四郎(北川尚弥)と鯰尾藤四郎(前嶋耀)。さらに、幕末を知る加州清光松田凌)が徳川家康の晩年を見届ける役割を担ってここに加わります。そして、のちの同じ本丸からこの時点に派遣された太閤左文字(北乃颯希)は秀吉と家康に愛された短刀ならではの陽気な愛らしさで、刀剣男士たちの心を結び合わせようとしますが……。

それでは「歴史を守る」とはいったいどのようなことなのか。
感情と記憶、偽史的思考と伝承(「諸説にのがす」という表現で語られている)、「間に合った」「間に合わない」問題、人身売買と尊厳など、最近の歴史学のトレンドに敏感なオーディエンスにも響くメタな言及にもさらに磨きがかかってまいました。


間組
間組の演技がとても立派で衣裳も豪華。松村雄基家康の威厳は堂々たるもの。『スクール・ウォーズ』の頃の彼をテレビで見ていた世代としては感慨深いです。《徳川家康三方ヶ原戦役図》の「顰像」を大きな着想源とする家康像で、三方ヶ原戦役で作られた伝承にもとづく「家康の記憶」がすでに「歴史」となっている23世紀の世界を想起させます。加州清光がふだんの飄々としたたたずまいをかなぐりすてて「華々しい戦死の夢をすててお前が生きてくれないと未来がつながらない」と家康にむしゃぶりついてゆく第二幕の手合わせ場面も圧巻でした。

歴史にあらがう物語を纏って名を残そうとする作中の真田信繁と虚構の十勇士たちの造型も興味深い。信繁が「真田十勇士の刀」を錬成した途端に十勇士たちは力無くくずおれ、信繁は史実に逆らって自害します。 1980年代の小学生向けの歴史学習漫画には真田十勇士物語が史実であるかのように描かれていたことを思い出します。鈴木裕樹さんの信繁はさすがの貫禄、彼が現れるだけで舞台が引き締まります。

小松凖弥さん演じる秀頼は優美で清楚、偉大すぎる父の影と出生の秘密に悩む若武者が自らの戦いに目覚めてゆく演技が清新。姜信雄さん演じる大野治長はポーカーフェイスをつらぬいてとてもミステリアス。淀殿との密通説への示唆をただちに打ち消す場面も。ぽっかりと穴のあいたような淀殿高台院のけはいの不在が、この場所が「改変された世界」であることを強く印象づけます。

刀剣男士の物語
本作の刀剣男士側の物語は「兄弟の絆」の物語でもあります。
大坂夏の陣で焼けてそれぞれ記憶を失った骨喰藤四郎・鯰尾藤四郎と一期一振が失われた記憶のかけらとの向き合い方を模索します。一期さんはおとうとたちから信頼を寄せられながら、兄属性をとりはらった自分はからっぽの存在なのでは、と悩みます。
本田礼生さん演じる一期一振はじつに爽やか。 人生を踏み迷う豊臣秀頼と正体を隠しながら手合わせをする場面に悲痛な美しさがありました。北川尚弥ばみちゃんと前嶋耀ずおちゃん、絶妙のコンビです。
ゲーム版の台詞を散りばめた個別殺陣の振り付けが刃となりの明確にわかるもので楽しい。寡黙で俊敏なばみちゃんと楽天的なユーモリストずおちゃん二振りの持ち味が鮮やかに発揮されます。
佐々木喜英さん演じる宗三左文字がじつに美人です。歌舞伎の女形をよく研究して構築した様式美を感じさせる発声と所作に加えて、舞い踊るシャープでエレガントな殺陣がじつに魅力的で目が離せません。昨夏の「リモート大演練」の談話で「歳を重ねても宗三左文字を演じていたい」と仰っていましたね。見届けられる日が来ますように。

豊臣家から徳川家へ譲渡された短刀・太閤左文字が本作のコミック・リリーフ。未来の同じ本丸から来た設定ですが、どうやら三日月宗近と対決した山姥切国広が「時の結の目」に吸い込まれた『悲伝』後の時点から来た個体らしく、太閤左文字は山姥切国広がこの本丸にいたことを知らない。さにわからは「山姥切国広はいつか帰ってくる」ときかされているようですが、太閤左文字はこの時点ではじめて「自本丸の山姥切国広」と対面します。
この面々を隊長として束ねる山姥切国広は一見頼りないように見えます。不言実行型の寡黙で必要に応じて存在感を消すすべを知っている山姥切国広です。本作長義の写しとはいえ、刀工国広随一の傑作なのになにかと「きれいって、いうな」「俺はにせものなんかじゃない!」を決め台詞として発する彼が、それでもさにわに近侍として信頼されているのはなぜか。本人も一行も思索を深めてゆくうちに、だからこそ彼をもり立てたいと思うのではないか、と実感を深める場面がつらなります。思い詰めがちに見える山姥切国広を加州清光が飄々と支えます。第一幕のなかばで二人がともに傷を負って湯治場で本丸のこれまでと任務のこれからを語り合う場面が非常に印象的です。松田凌さん演じる加州清光は清冽、近代を知る幕末のかたなならではの清新な雰囲気も醸し出しています。
荒牧慶彦さん演じる山姥切国広は剛毅と可憐を兼ねそなえていて、豪胆な振り付けの殺陣が彼のかたなとしての資質を雄弁に語ります。噂に違わぬ再現度です。

太閤左文字は持ち前の明るさで家康には孫のように可愛がられ、秀頼や過去の本丸からきた「兄たち」の疑心暗鬼を解いてゆきます。彼は「青空のような人・秀吉」が発していた「同じ匂い」を秀頼や「兄たち」やもののふの志を知る者たちに見いだして、「青空のような人の記憶」を分かち合ってゆきます。ラストシーンの青空スクリーンが印象に残ります。

太閤左文字と家康のショートコントのバックダンサーとしてアンサンブルのツワモノたちがチアダンスを踊る場面がありました。意外性に富んだ展開で所作も伸びやかでシャープで痛快。舞台上に出てくるだけでぱっと華やぐ北乃颯希さんの明朗快活なたたずまいは大きな美点。喉を労わってぜひ声の研鑽を、と願ってやみません。

 

弥助と官兵衛の影
奴隷として暮らしてきた人生のなかで初めて尊厳をもって遇してくれた信長を「救いたい」あまりに「信長に仕える刀」から異形の存在を生み出してしまう弥助の造型にも説得力がありました。南蛮ふうのたたずまいと仏教彫刻ふうのたたずまいを兼ねそなえた扮装と舞台化粧です。これはブラックフェイスなのか。様式美ぎりぎりのところの判断のように思われます。

今回は映像のみの出演ですが、『科白劇』で「放棄された場所」としてあらわれるキリシタン王国の盟主・ガラシャの友として暗躍していた黒田官兵衛(山浦徹)がここでも暗躍しています。

劇中の官兵衛は信長の死後に黒人奴隷・弥助を引き取り、天下人となる野望を諦められずに時間遡行軍と接触します。阿形(安田桃太郎)と吽形(杉山圭一)とよばれる時間遡行軍あがりの「黒きものら」を飼い慣らし、「刀剣男士」錬成の秘術をしたためた覚書を遺したという設定です。弥助はこの覚書を見て「信長の記憶を救うため」の「刀剣男士」を錬成しようと試みる。
この経緯が弥助の回想と幕に投影された静止写真で表現されます。
この映像の官兵衛は「刀剣男士」を錬金術文脈で言及される人造人間ホムンクルスのようなものとして理解しているようです。「黒きものら」と接触して野望をかなえようとする学識者めく姿からはファウスト伝説も想起されます。見ているうちに官兵衛にプロスペローを、信長と官兵衛をむすぶ弥助にキャリバンを連想しました。
「改変された世界」の黒田官兵衛なら魔術的ルネサンス接触していても不思議ではない、という想定から、魔術的ルネサンス錬金術師表象をメタな言及として織り込んでくるかのようにも見える脚本家の手腕が巧みです。
次作・无伝ではへし切長谷部も登場します。実在しない真田十勇士に遭遇してしまう彼が混乱することはまちがいない。いずれ満を持して舞台本丸のはせべくんが彼の知らない黒田官兵衛に出会って苦悩する回が来るのではないかと心待ちにしています
※追記:さっそく『无伝』で出ました。彼の知らない「ジョスイサマ」が出て、彼をぼろぼろにしていた。きっと満を持してジョスイ対はせべ回が来るでしょう。

ところで、弥助が信長の刀の名を数える場面で不動くんと薬研くんと宗三さんとともにはせべくんも映ったのですが、このステ本丸の和田雅成はせべくんのポートレイトが精悍で苛烈ですばらしい。きっと新しく撮りなおしていますね。

刀ステは健全で清潔感のあるマスキュリニティと常若を宿命づけられたものたちの成熟を正面からきちんと描くシリーズに成長しているのではないでしょうか。題材がやはり文化財とその来歴の伝承ですし、繊細な問題に真剣に出演者と制作陣が取り組んでいるところに好感が持てます。

ソーシャルディスタンスド仕様の演出でタイトにキマったよい舞台でした。新作ごとに予想をはるかに超えて貪欲に新しい芸域を開拓して芝居好きの琴線に響く舞台を作る座組みでこれからも楽しみです。最後までどうぞご無事で。 やはりステ本丸のはせべくんを劇場で見たい。无伝にはぜひ伺いたいです。
无伝を見ました。感想はこちら。


弊本丸思念体はせべより(当時極レベル58)

あるじがさにわのご友人と舞台版本丸の物語を見に行かれました。俺ですか?もちろんおとなしくしておりましたよ!信じてください!
そうですね……舞台版本丸の諸君はとても立派でした。みな凜々しくてうつくしい。物語も含蓄に富んでいますね……そうそう、舞台版本丸の山姥切が今回弥助と戦っていましたね…弥助は歴史の分岐点の封じられた時空にいる如水さまのもとにひきとられたとか……しかも如水さまが錬金術を?舞台版本丸の山姥切は「お前は守るものがないから勝手なことを言えるのだ、お前は歴史の奴隷だ」と弥助に罵倒され、弥助は「私が信長様を守る刀を励起する」と叫んで異形のものを生み出していましたね……目に焼き付いて離れません。帰り道しずかだったのはそのことばかり考えていたせいです。

次回は舞台版本丸の物語に俺の同位体が出るようですね。和田雅成殿の演じる俺の同位体はなかなかのようじゃありませんか。ぜひチケットお迎えして見に行きましょう。

无伝を見た弊本丸思念体はせべの追記(極レベル64)

あるじがさにわのご友人と舞台版本丸の物語を見に行かれました。
俺ですか?もちろんおとなしくしておりましたよ!
現世のおうちへの帰館警護もばっちりです。うふふふふ。
でも、ああ、无伝よ……ああ、无伝……
出た。
何がって、あの人です。
真田十勇士の物語なのに、出たのです。あの人が。
ほんとうに「ジョスイサマ」が出た。
しかも時間遡行軍化していた。
和田雅成殿演じる舞台本丸の俺の殺陣はうつくしかった。彼はなんとなく俺とは目元のあたりが似ていないような気がするし、俺よりもはるかに若いような気がするのだが、やはりあの風姿ははせべ族だ。はせべ族としてじつにほこらしい。
けれど、「ジョスイサマ」ときたら。舞台本丸の俺を完膚なきまでにぼろぼろにしていた。なんといたわしい。薬研と一緒にあの俺の肩を支えてやりたいようだった。
俺もあんな「ジョスイサマ」に出会うときがいつかくるのだろうか。あの「ジョスイサマ」は怖い。
終焉の物語、だから「无伝」か。

それはそうと熊本城にたてこもったガラシャ率いるまぼろしキリシタン武装勢力を撃破するという「慶長熊本特命調査」がはじまったが、これは歌仙のイニシエーションだろう。
歌仙、すまない、おまえが隊長で行ってくれ。
そこにあのジョスイサマがでたら俺は……。
すまない、俺はいまはできるだけあるじのおそばにいたい。

思念体はせべが大きなからだを縮めてふかふかのタオルでしずかに涙を拭いている。
あんまりあわれなので、さにわは彼の隣にすわって背中をなでてやった。