ヤマザキコレ『魔法使いの嫁』既刊分13巻(ブレイドコミックス、マッグガーデン、2013–2020年)を一気読みしました。面白かった。
シェイクスピア『真夏の夜の夢』からゴシック・ロマンスと「ケルトの薄明」を経由して近現代ハイ・ファンタジーに至る妖精物語・ダークファンタジーと、ブリテン諸島社会派ドキュメンタリーをふまえた、日本語で書かれたマジカルブリテンものとしては出色の作品です。
天涯孤独となって魔術界の人身売買組織に身を託した日本人の少女チセ(羽鳥智世)が巨額の富を積まれてマリ・ルード風の容姿の魔法使いエリアス・エインズワースに「身請け」され、イングランド西部の村に移住して魔法使いの修行をします。
「美女と野獣」ものに属するビルドゥングスロマンですが、「美女」の献身による「野獣」の呪いからの解放の物語ではなく、心を名付けて分かち合うことが重要なテーマになるところが新しい。
セキュラリズムの蔓延した某東洋の島国で、「見える」一家に生まれたがゆえに数奇な運命に巻き込まれたチセ。赤い髪と緑の目の彼女があの村の住人となって能力の制御と魔法の世界のおきてを学び、少なくとも18世紀(!)から生きつづけてているのにニンゲンの感情を知らない、見かけゆえにまず恐れられるエリアスがチセと生活することで感情をひとつひとつ名付けてゆきます。
そもそもエリアスよ、チセを迎える手段が人身売買でいいのか、作中ではオークション会場から龍の子どもすら脱走するのに、きれいなお金、って言ってるけどその資金はどこからきたの、とても村の薬局だけでは蓄積できないように見える、なんでそもそもチセはオークションに身を差し出したの、など突っ込みたくなるところもありますが、なにしろ異類婚姻譚だし、異類には異類のルールがあるらしい。このあたりの描写が手堅い。
異類の形態と怪異の躍動感と流動感ある描写とフォント遣いがとても巧み、一枚絵としても鑑賞できる構図多数、異類との対話のシーンにも含蓄があります。チセとエリアスに見えている異類に満ちた世界の描写も鮮やかなのですが、特筆すべきはエリアスの造型です。ジョージア・オキーフ作品にしばしば描かれるけものの頭骨を連想させる頭部とプロポーションが端正です。声は「低いわりには少年ぽい」という設定も卓抜です。
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J. K. ローリング『ハリー・ポッター』シリーズのホグワーツ学院は現実の英国の階級社会のミラーリングであったり、フィリップ・プルマン『ヒズ・ダーク・マテリアルズ(ライラの大冒険)』シリーズは魔法世界のオクスフォードにおける魔術知の覇権闘争の物語だったりもします。セキュラリズムの現世(「マグルの世界」)に対抗する特権階級としての魔法界を描く物語です。
『魔法使いの嫁』は家族の崩壊、子供の貧困やネグレクト、人身売買、薬物嗜癖などのビターな社会問題から目を逸らさないところがとてもリアル。「見える」「能力」はむしろセキュラリズムの社会でははっきりと傷(スティグマ)として現れるという痛みをしっかりと描きます。伝統芸能でありつつ、作中世界では高度特殊技術としても描かれる魔法/魔術を守らなければならないおうちの子供たちの痛みや、「見える」「能力」の持ち主がその道を生かすライフコースの選択からも目を背けることがない。ここが作中世界の手触りをより確かなものにしています。
『ハウルの動く城』のダイアナ・ウィン・ジョーンズや『オレンジだけが果実じゃない』のジャネット・ウィンターソンの作品にも通じる味わいがあるかもしれません。
『魔法使いの嫁』の作中世界には、天性の異界・異類との交流能力としての「魔法」、理論化できる「術」としての「魔術」の区別が明確にあります。「魔法使い」「魔術師」の能力はある程度遺伝するようですが、必ずしも遺伝はしないようでもあります。第二次世界大戦下で打撃を受けた英国と欧州大陸の魔術師の家門が生き残るためにロンドンに魔法学院を設立する設定にも、魔法学院の生徒がセキュラリズムの世界に適応するために一般教養をしっかり学ぶ設定にも無理がありません。
魔法/魔術の道具を整備・生産する「魔法機構」の一員としてエソテリックブックショップを経営する魔法使いや、現在の英国のネオ・ペイガニズムではフェミニズム・アクティヴィストでもあることの多い「魔女」(ウィッカ)はもちろん、自らの能力を相対化してとらえて後世に継承するために魔術研究を行う「魔術師」も、天涯孤独の身となった少年少女を更生させる魔法使い/魔術師も登場します。彼らのふるまいは意外に倫理的。薬物嗜癖の少女を魔術師が「養女」として更生させ、魔術師として生きてゆけるように鍛えるケースも描かれます(アリスと魔法学院教師レンフレッド)。
エリアスの師匠たち、いつまでも生き続けなければならない呪われた魔法使いの屈託、「見える」能力をもつがゆえに生まれた階層からの脱出のために魔術/魔法/宗教と関わりをもつ人々、妻に早くに先立たれた詩人に訪れる妖精の悲恋、家門の重荷を担う魔法学院の生徒たちなど、ビターなエピソードも一滴のスウィートな要素とともに余さず伝える群像劇です。原家族に恵まれなかった人々が「魔法」「魔術」の存続をかけて心を通い合わせ、人里とともに共存しながら新しい関わりを作り出そうとするさまは感動的。魔法/魔術がデウス・エクス・マキナ要素やチート要素にならない設定が硬派です。「見えざる人」との距離感が描きこまれている点にも注目です。「見える」人は「見えざる人」の世界に「見えざる人」に擬態して順応しなければならない。その苦労から目を背けず、「見えざる人」にも怪異や異界と接触する場面ががあって、それが人生の決定的な瞬間になったりもすることを描く筆致が作品世界に厚みを与えています。
魔法学院の教員たちは自らを人体実験の対象としてまで魔術の研究に勤しみ、チセが「魔力の充電池」(作中では「夜の愛し子」と呼ばれている。無限に魔力を受けてからだにためることができて、本人がその「能力」を制御しないと早死にする)という特異体質の主であることを知っていて、研究対象にしようと虎視眈々と狙っているようです。「学院編」でチセにアプローチをかけた結果、研究生として入学してもらう成功する展開はじつに生々しいものがあります。
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『魔法使いの嫁』は異類婚姻譚ダークファンタジーながら、お色気要素らしいことがほぼ起こらない作品でもあります。この節度はある意味天晴れだと思います。現代社会ではなにかとデリケートでクリティカルな課題にふれる話題ながら、みごとに危ういところを回避しています。だからこそ舞台化もアニメーション化も可能ともいえます。
周囲の魔法使いたちが「エリアスあいつ、君になにかやばいことしてないか」とチセに確かめるシーンがあるのも印象的。エリアスがチセにその種の欲望を向けるシーンが皆無です。
エリアスの念頭にはおそらくニンゲンの世界で起こる家父長制あるいはロマンティック・ラヴの性愛と次世代の再生産を伴うものとしての「けっこん」「よめ」の概念がない。パートナーシップの概念を「ともにいきてゆきたい、ともにくらしたいひととくらす」として理解しているようです。ここは新しい。
ロマン主義の英国男子のホモソーシャリティを描いたイヴ・セジウィック『男同士の絆』やブラム・ダイクストラ『頽廃の偶像』をひくまでもなく、日本の有害なホモソーシャリティを内面化した男子と良い勝負に、しかるべき教育をうけていながらじつに人でなしな男子諸君の出てくる英国ドラマを見慣れた目には、『魔法使いの嫁』のエリアスのふるまいは紳士的に映ります。*2
骸骨ながら上唇かたく、静かで献身的。Hard upper lipped, calm and caring personといった印象で、絶滅危惧種ともいわれる「ブリティッシュ・ジェントルマン」のふるまいのコードをいったいどこで学んだ、とききたくなります。
エリアスの立ち居振る舞いがdetachedであればあるほど、「弟子にしてよめ」を手に入れるのに、人身売買を利用するのはどうしてなんだ…お前は異界の住人だからなのか…とさらに謎が深まります。
「僕には感情というものがわからない」「お前もそろそろ弟子をとれ、といわれるのでてきとうに弟子をとって、観察していればいいと思った」と述懐するエリアスが、天涯孤独の少女を「弟子」として暮らすことで、相手を尊重すること、大切な人の友達まで巻き込んではならないことを覚え、感情をひとつひとつ名付けてゆく。ここがもう感動的です。さびしさと嫉妬を知る以前のエリアスがいまだ名付けられていないかたちで噴出させる念と能力の制御が効かなくなる場面の描き込みは圧巻です。
ここでチセが人の心をつかむために支配欲や征服欲を自在に使う子だったらどんな邪悪な話が起きるだろう、と身構えるわけですが、作中では一切その類のことが起きません。
チセは芯の強い子です。15歳で天涯孤独になって早く大人にならなければならなかったために、達観しようとする子、人の気持ちを理解しようとする子です。
チセの生まれた極東の島国には異界が「見える」ことがひどくぶきみがられ、恐れられるセキュラリズムの社会があります。チセは「見える」能力者であった父に弟とともに去られ、おなじく能力者であった母に「子どもを守り切れない」「お前など生まなければよかった」と目の前で自裁された痛みを抱えているのですが、異類の村で暮らすうちに存在のやさしさにふれ、原家族に棄てられた過去の思い出を再構成してゆきます。
エリアスがどうしてこのようになったのかを知りたくて、彼の生い立ちを知る魔法使いたちに会いに旅に出たりもします。心を開いてくれない大切な人のほんとうの心を知ろうとして北へと旅するアンデルセンの『雪の女王』のゲルダの旅の本歌取りでもあります。しかし、ゲルダのような一方的な献身ではないのがあたらしい。しかしこれはティーンエイジャーだからこそできるひたむきな献身のエピソードかもしれません。
『魔法使いの嫁』の作中世界には「異界が見えない者たちの守護者」として、「見えない者」たちの安全のために異界や異類と接触させないようにはかる「教会/協会」が存在します。セキュラリズムの安定は「見えない」人たちが「見えない」ままにほどよく儀礼や霊性と安全に接触できるように保たれているわけで、この設定はなかなかない感じです。宗教学徒としては関心を惹かれます。13巻まで読んだところでは、これから先の展開のなかで「教会/協会」の役割が明確になるのかな、という印象を受けます。
エリアスのすむ村の「神父」サイモン・カラム師は、エリアスを監視するために「教会」から派遣されています。ツイードのジャケツを僧服の上に羽織ったブリテン諸島の聖職者然とした人です*3。
カラム師はゲール系言語ネームルーツの父方とイタリア系移民の母方のダブルルーツの人で、祖母に習ったイタリア菓子を周囲の人に食べさせると死んでしまう過去に脅えています。若い頃、その記憶ゆえに自暴自棄な生活を送っていたこともありましたが、「能力者」として異類監視組織にスカウトされ、セキュラリズムの世界で怪しまれないために修行して神父の道に入った経緯を持ちます。カラン師自身が見える人で、エリアスに威圧的に振る舞うことなく共存しているために「監視役」を外されそうになります。呼吸器系虚弱団員のようで、エリアスから喉に効く薬草をもらって呑んでいます。
開けた知性をもち、相容れることがかならずしも容易ではない他者と共存しようとする聖職者像は英国のドラマや映画にもしばしば登場しますし、現実にもそれなりに存在する。無理のない描写です。*4
彼の司祭館にいる修道女ガブリエッラは恐らく身の周りの世話をする係として司祭館に派遣される方でしょう(ドラマ版『フリーバッグ』でアンドルー・スコットが演じるすてき司祭の司祭館にいる、信徒女性パムみたいな役どころです)。しかし、彼女も異類監視組織(「教会/協会」)の同僚でもあるらしい。今後の展開がたのしみです。
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英国で文献調査をする者としては、『魔法使いの嫁』の作中世界の異界の入り口が親しい場所に見えていたりするのもたのしめるポイントです。
チセがロンドンの友人を訪ねる場面ではヒルトン・ロンドン・パディントンのファサードやパディントン駅の鉄骨アーチが描きこまれています。ヒースロー国際空港からロンドン市内に入るときに乗るヒースロー・エクスプレスとヒースロー・コネクトの発着駅で、オクスフォードやブリストルやスウォンジーに行くときにも使うターミナル駅です。エリアスのすむ村はパディントン駅からグレート・ウェスタン鉄道で行くどこかにあるパラレルワールドのようです(公式副読本にはコッツウォルズのどこかの街の風景を参考にした、とありました。『牧神の祝福』の舞台になったウェールズではないとのこと)。
キングスクロス駅からケンブリッジ方面を通ってイースト・アングリアのどこかにあるホグワーツ方面に行くのではないところがおもしろいです。
魔法学院への抜け道が英国で文献調査をする人なら必ず入館証を作るあの巨大図書館のクローク階にあるという設定が卓抜です。前庭と館内の入館証を作らなくても入れる部分のデッサンが確かです。
作中にはエリアスの数百年来の旧友アンジェリカが営むエソテリックブックショップ兼資材店も出てきます。21世紀では「魔法使い」であることを生業に生かす女性です。彼女には「見えざる人(一般人)」のお連れ合いと魔法使いの資質を引く娘さんがいます。魔法学院とも取引をしている設定がじつにリアルです。
この設定も、ロンドンに行くと職業柄学術書も置くエソテリックブックショップは一応見る人(アトランティス・ブックスやトレッドウェル書店に寄る人)としてはおもわず頬がゆるみます。
マジカルロンドン、大英図書館から大英博物館付近の書店街あたりにもふつうに口がひらけてるから!僕らの古典学研究所図書館やウォーバーグ・ライブラリーにも魔術史の棚あるし!井村君江先生から鏡リュウジさんにつながるマジカルブリテン紀行文献もしっかりおさえて書いてくださっているのだと拝察します。
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マッグガーデンからは1巻から6巻までの公式副読本が出ています。各話ごとの解説付きです。参考文献一覧ものっています(シリーズ本体に載せて貰えると嬉しかったかな)。日本語で読める文献のなかから手堅い辞典・概説類が揃っています。井村君江先生のご著作への言及あり。
ヨセフと「死ねない魔法使い」カルタフィルスはホルヘ・ルイス・ボルヘス「不死の人」のカルタフィルスへのフックかもしれないのでみんなボルヘスを読むとよいと思うんだ。
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ところで13巻では魔法学院の貴重書書庫に配架された「人の生死と人造人間製造」に関わる魔導書の行方をめぐる事件が発生します。ここで魔術書肆の跡取り娘でもある学院生と、(エリアスがチセを「身請け」した)魔界人身売買オークションに関わるその兄と、学院そのものが事件に巻き込まれてゆくのですが、エリアスの読書経験と、チセの「魔力の充電池」体質が効いてくるようです(あれだけcalm and caringな人がなぜそれを興味からそんな危険な魔導書を読み、自分では手に余る、と判断したのか…というさらなる謎が湧いてきます)。舞台版第二弾では学院編のこののちの展開にもふれていただけるのか、非常にたのしみです。
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同じく『コミックガーデン』に連載されているながべ『とつくにの少女』おもしろいですね、時代設定は魔術の世界が共存する「中世」風の世界(メディーヴァリズム宗教表象にアンテナを張っている人として心をつかまれる)、バンド・デシネのコマ割と中世後期から初期近代の木版画や酒井駒子作品に通じる画風とストーリー展開で、ハイ・ファンタジーに親しんでいる人にも親しみやすい予感がします。読んでみます。
(この項おわり)
*1:ニンゲンのふるまいと心がわからないので擬態する物語、といえばコンビニバイトをして擬態を覚える主人公の登場する村田沙耶香さんの小説『コンビニ人間』を思い出しますが、『魔法使いの嫁』のエリアスのかかえる「ニンゲンの心がわからない」はもっと広いタイムスパンでの異類の孤独のお話でもあるところが哀感を高めます
*2:英国のarty and well-educatedなひとでなし男子の見本は、最近の作品ではローラ・ウェイド『POSH』(『ライオット・クラブ』)に登場するオクスフォードのわるがき倶楽部や、『フリーバッグ』ドラマ版の主人公フリーバッグの歴代カレシやその姉クレアの夫と連れ子などが分かりやすいでしょう。ローラ・ウェイド『POSH』と同じテーマを扱った日本の小説として姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』を挙げましょう。1960年代の男性視点の作品では、柴田翔『贈る言葉』も同系統の物語です。
*3:ウェールズを舞台にしたダンセイニ卿の『牧神の祝福』や、オクスフォード近郊を舞台にしたアーサー・マッケンのデニスタウンものに出てくるごりっごりの英国教会ハイチャーチの教会にも異類に敏感に反応する「司祭」が登場しますが、カラム師はおそらくカトリックの教区司祭らしい。
*4:最近の作品では『フリーバッグ』ドラマ版でアンドルー・スコットが演じるカトリック司祭がなかなか開けた人で、やさぐれた生活を送る女子にも心を開いて話を聞くタイプだったことも想起されます。