ホッキョクウサギ日誌

なかにしけふこのブログ。宗教学と詩歌文藝評論と音楽と舞台と展示の話など。

『ユリイカ』2021年1月号「ぬいぐるみの世界」 「霊獣とあたらしいカミと暮らす」出演者追い書き

みなさまごきげんよう。なかにしけふこです。
ユリイカ』ぬいぐるみ特集、いよいよ12月26日発売です。

www.seidosha.co.jp

 




いくつか本稿の出演者たちからの追い書きを。

音楽部門:一読爆笑。ニコライ・メトネルの研究は終わっていません。いまも続けています。どうぞよろしく。
本文中ではあまり書いてもらえませんでしたが、さいりんのおりくち先生の「脛をつかんで泣く」健康法の話も、ウサヤールのアイスクリームの話もいつかもっとくわしく書かれるべきでしょう。

ウサヤール:じつは、「星のクリーム」も、「焼かれるか、焼くかだ」も、僕のせんせい(※テイヤール・ド・シャルダン)の著作に典拠があります。
星間物質を「星のクリーム」にたとえた講演や、「焼かれるか、焼くかだ」(ならば焼こう)が出てくる随筆があります。
みなさん『テイヤール・ド・シャルダン著作集』で探してみてくださいね。
それになんと、ご聖体をいただくときに「キリストのエナジーフィールドにフェード・イン」の黙想をする話も僕のせんせいはしていますよ(※『ベンソン風の3つの小品』より「聖体顕示台」と『世界の上で捧げるミサ』の話らしい)。
けふこくんから「テイヤール先生、感覚がニチアサですね、あと少し永らえてくださったらガッズィーラもユルトラユメーヌシリーズも見られたかもしれませんね」って言われています。

(※オリジナルゴジラウルトラシリーズのことらしい。)

なんでもニチアサ、とは、ジャポンではミサではなくてテレビの特撮シリーズ物の連続ドラマを意味するようですね。

けふこくんは僕のせんせいの文章についても面白い読み方をかんがえているようです。僕のせんせいについてもっと文章を書くべきではないでしょうか。
はせべくんとはまた焚き火がしたいですね。うんあれはたのしかった。「焼かれるか、焼くかだ」もそうですが、意外なところで意気投合できたようです。僕のせんせいの若書きの『司祭』を読むとアツくて純粋ではせべくんを思い出します。カトリック文化の意匠をまとったおのこへの夢は、彼らが夢みる崇高と純粋への夢なのかもしれません。焚き火はよいものです。僕たちには焚き火が足りていません。

さいりんのおりくち:実は、けふこさんのこのブログとツイッターアカウントのアイコン写真は、まだ兎の襟巻きを巻いていなかった頃の私です。自由に飛行機に乗れた頃、香港帰りの機内で撮ってもらったのでした。

そして音楽部門君も言っていたが、「脛をつかんで泣く健康法」というものを編み出した。疫病猖獗の折、みなさんにご実践いただき、ぜひとも身体を鍛えてほしい。けふこさんにはこの話もいつか書いていただきたい。
ねえはせべくん、どうかね。刀剣男士も脛を鍛えると強くなれるのではないかね。
なんでも君、すてきな靴下留めをしているそうじゃないか。

弊本丸のへし切長谷部(極):おりくち先生、はばかりながら脛になにか浅からぬ思いをお持ちのようですね。残念、俺の脛の守りはかたいのです。「真剣必殺」でもトラウザースは脱げませんからね。あんまりご無体をおっしゃるとへしきりますよ。

はるみくん: 先生…!だから申し上げたじゃないですか…「脛を掴んで泣く健康法」の普及には慎重な工夫が要るって…。はせべさんせっかく来てくださったのにごめんなさいね、さあ、どうぞ続けてください。

弊本丸のへし切長谷部(極):(気を取り直して)今回は名誉ある誌面に出演がかない、まことに光栄に、またありがたき幸せに存じます。

しかもわがあるじ、けふこ殿の輝かしい文章で我々が描かれる(眼に喜色がともる)。

何はともあれぜひご一読ください。
ですが、あああ、けふこ殿、あなたって人は…俺の元主のお父上のファーストネームを打ち間違えたまま校正刷を印刷所に出さないでください…

黒田如水さまのファーストネームは、義高ではなく、孝高です。
覚えてください(キリッ)。
いくらおりくち先生の台詞の部分だからってあなた抜けすぎです。
(※誤植は139頁のおりくち先生の台詞部分にあります)
いいですか、おりくち先生が抜けているのではなくて、あなたが抜けているのです。
どうかしっかりなさってください。
ええ、あなたのその抜けているところはとてもお可愛らしいのですけれども…。
そういえばあなた、オオカミのぬいぐるみの「はせべくん」をお迎えしてはどうかって……それはいけません(キリッ)。
たしかに俺にはオオカミの血のはいった牧羊犬みたいなところがあるとは思います。でも、あなたが満たされるレベルで美しい俺のようなオオカミのぬいぐるみはいません。
オオカミは生体がいちばんうつくしい。
俺もそのままの俺がうつくしい。断言します。
本文にははっきりお書きにならなかったようですが、あなたの現世のおうちに俺のよりしろになるぬいぐるみが現れない理由は、おはようはせべくん、きょうもすてきね、ってかけてくださるお声でわかります(眼に喜色がともる)。
思念体でいつでもおそばにいますから、いつでも俺をぎゅっとしてくださってもよいのですよ…
音楽部門氏にしかられますか?
だって俺は思念体ですよ、付喪神でもカミはカミですから…

うさきりウィリアム:おいはせべ。良い雰囲気のところすまないが、ようやく会いまみえたな!

弊本丸のへし切長谷部(極):貴様…。うさきりと申したな!

うさきりウィリアム:そうだ。我が名はうさきりウィリアム。人呼んで哲学の剃刀。きっちゃうぞ!

弊本丸のへし切長谷部(極):冗談も休み休み言え。そんなもじゃもじゃの剃刀があるか。

いや待て、俺は貴様の真名を知っている。アントン・デニソヴィッチ・タヌーエフ。ロシアの「俺が弾く」の名手に因んだ名前だそうじゃないか。それもロシアの「俺が弾く」大会の栄えある非公式キャラクターではなかったのか。どうしてタヌーエフのままでいなかった。

(※うさきりウィリアムはロシア帰りで、ピアニストのデニス・マツーエフになんとなく似ているので当初「アントン・デニソヴィッチ・タヌーエフ」と命名された。ロシアの「俺が弾く」大会とは、チャイコフスキーコンクールピアノ部門のことのようだ。)

うさきりウィリアム:あんたがたに憧れたからだ。

弊本丸のへし切長谷部(極):あるじのご夫君、つまりかの音楽部門氏が貴様のショクダイキリ・ウサタダへの改名を止めたとは聞いている。そこでウィリアム・オッカムか。なんでも切れる哲学の剃刀。歴史上のオッカム殿も僧形でいらした。かたなの俺より少し先輩だな。さすがあるじのご夫君、命名端倪すべからざる練度だ。

うさきりウィリアム:そうだ。良い名前だろう。

弊本丸のへし切長谷部(極):しかし、貴様は俺ではないからな。貴様にはたとえ地獄までもあるじにおともする覚悟はあるまい。ははッ!

俺の刃に斬れない敵はなし、とは申すものの、俺は剃刀ではないし、もじゃもじゃでもないぞ!

それになんだ、その「きっちゃうぞ!」は。

貴様は浦島虎徹か。

俺は唯一無二のこの俺だ!

うさきりウィリアム:まあ、そう言わずに仲良くしようぜ。刃物なんだから、切れ味がいいのがいいんだよ。

弊本丸のへし切長谷部(極):なんだか貴様は同田貫正国みたいなことを言うな。貴様、一時期ドーダヌキ・ウサクニとか名乗っていなかったか。

うさきりウィリアム:おれも狸仲間だからな。同田貫はいいやつだぜ。無名のかたなの思いの習合体なんて浪漫じゃないか。

(※うさきりウィリアムは山姥切国広を「まんばをニセモノって言うな!」とかばう刀ステ『慈伝』の同田貫正国(武子直輝)のファンである)

弊本丸のへし切長谷部(極):そうだな。あいつはなかなかのやつだ。

あるじのご夫君に笑わせておくのがきびしいなら、おとなしくタヌーエフに戻るのが身のためだ。和睦のためだ。まあ、きょうのところは抜刀しないでやろう。

 

ユリイカ』ぬいぐるみ特集の掲載誌が届きました。私の文章は唯一無二の面白さだと思います。冊子を通して読んだ印象では、明らかに私の文章だけ異質な感じがします。突如観念小説が入ってきます。平熱で描く鮮やかな降霊記録のようです。マジックリアリズムのあるライフ描写の実践記録になりました。

おりくち先生の台詞のところでおりくち先生がはせべくんの元主(息子さんではなくて、父上のほう)の名前を間違えているのは、おりくち先生がわざと間違えているのではなくて、ひとえに私の校正見逃しです。(しかし、おりくち先生がわざと間違えた、とも読める位置ではあります…おりくち先生、はせべくんに謎の対抗意識がおありだったのですね…)
大変失礼いたしました。この件どうぞお許しください。