からだのシューレvol. 5 プラスサイズモデルnaoさん講演会に行ってきました。
公式告知はこちら。
【12/3・東京】からだのシューレvol.5 特別講演会「あなたのカラダは誰のもの?」 | eat 119
「からだのシューレ」は文化人類学者・磯野真穂さん司会、EAT119・林利香さん共催による、「食べる」ことと摂食障害と身体をめぐる諸問題を文化人類学の手法を用いて見つめるワークショップです。治ること、治すことを目的とせず、社会のなかにあるいろいろな考えかたの枠組みを浮かび上がらせ、意見を分かち合う会です。質疑応答タイムも充実です。
子供の頃から体型の悩みがあって「愛されていない」と思ってきたひとが思春期になって他律的な強迫観念としての痩身願望に陥り、いろいろな人との出会いから美貌の観念を相対化し、「受け入れられている」ことに気づいて、自分の肉体を回復するまでの過程のお話でした。
naoさんは聡明な人で、お話もおもしろい。聞いていてさまざまな発見がありました。「きちんとしている」はずのボーイフレンドに「君は変わらなければいけないよ」と酷薄な仕打ちを受けた話や、ティーンエイジャーの頃に友達と買い物に行っても着たい服がなくてやむなく男物の服をジーンズショップで買ってきていた話など、思わずもらい泣きしそうになりました。
まるで小学生のいじめっ子の価値観そのままに、公共の電波にのせてcurvyな人たちをおもしろおかしく見世物にするテレビのバラエティショーの制作意識の話題もありました。BBCに摂食障害からの回復を主題に取材されてはじめて国内のテレビ局からバラエティショー以外の取材依頼が来るようになった、とのお話でした。
その経験から「他律的な痩身願望にもとづくダイエットを推奨するテレビの企画には出ない」とのこと、まさに慧眼です。
そうだよそんなもの出なくていいよ。
それにしても容姿と食と自己受容、愛情の問題に帰着させるには複雑な問題です。「きちんとしている人に認められたかった」も非常に身につまされました。
規範を体現する存在に認められたくて努力する人が、硬直した規範的な価値観ではもはや縛れない発想を自身が持っていることに気づいていないがゆえに、「きちんとした何か」に欠けを責められ、「君が変われば認めてやろう、まだまだ、まだまだ、いつになったら変わるんだ」と無限の変容を求められて、サディスティックで酷薄な扱いを受けて深く傷つく。それは恋愛に限ったことではないのです。
ひとはそこにあるだけで欠けも含めてその人として無二の存在としてパーフェクトであるのに、人をそんなふうに扱う何かははたして「きちんとして」いるのでしょうか。
常に値踏みされる側として生きてきたひとが言語化できない孤立感と混乱の中でふつうに食べられなくなることはおおいにありうる話でしょう。
「気のもちようですね」「気にしなければいいんじゃない」と記者や医者に言われて、それですむならこんなに苦しんではいない、と思った、というお話もありました。
そうだよほんとうにそうだよね。
naoさんがモデルとして活動している雑誌『ラ・ファーファ』は初めて見ました。さまざまな系統のスタイリングがのっているし、いままでなかった雑誌なのでぜひがんばっていただきたいですが、陽気で賑やかな紙面デザインや柔らかい布でボックスシルエットをつくるスタイリングを見ていると、curvyな人たちの服を「ぽちゃかわ」路線に閉じ込めてはほしくないな、とも感じました。
「女性はかわいく」「規格外の身体ならなおさら愛嬌を」という日本社会に隠然とあるジェンダー規範に縛られて「ぽちゃかわ」路線のスタイリングに流れるならそれはそれでとても根の深い問題だとも思う。「ぽちゃティヴ」のヴィジュアルも布が柔らかすぎる。もっとかっこよくしてあげてほしい。
ぜひここは日本の13号以上のサイズの服がふつうにしかもかっこよく存在する海外プラスサイズファッションの世界に大いに学んでいただきたい。日本のプラスサイズファッションの世界も10年前より格段に向上しているとはいえ、まだまだこれからです。
自分で技術を共有することによってかっこよく自分の着たい服を着るフィロソフィのあるCurvy Sewing Collectiveおもしろいですよ。 http://curvysewingcollective.com
40代以上のお洒落とならんで、既製服のサイズ問題はほんとうにポジティヴな身体イメージに関わる深刻な話題。サイズとデザインの多様化はブルーオーシャン。
伊藤比呂美さんも『女の絶望』『女の一生』で、摂食障害からの脱出は「あたしがあたし」であることに気付けるかが鍵、と書いていらしたことなども思い出しました。
よい会であったと思います。