ホッキョクウサギ日誌

なかにしけふこのブログ。宗教学と詩歌文藝評論と音楽と舞台と展示の話など。

近代人カトーくんと念者念弟システム:加藤守雄『わが師折口信夫』(1967)

お蔵出し文章です。
佐藤二葉さんの『うたえ!エーリンナ』に念者念弟システムになじめなかった古代ギリシア人の男子がでてきたことを皆さん覚えていらっしゃるでしょうか。
20世紀の日本に残存していた念者念弟システムになじめなかった方のお話をいたしましょう。
折口信夫の門弟であった加藤守雄の回想録『折口信夫』(初出:文藝春秋・1967年、朝日文庫版・1991年)の話です。
現在は古書で入手可能です。文庫版: ハードカヴァー:☆☆
貴重な体験記なのでぜひ復刊をお願いしたいです。

最愛の藤井春洋さん(折口春洋さん)応召後、慶應義塾の商業学校ですでに教鞭をとっていた加藤くんを、起居をともにする弟子に選んだ折口先生。
しかし、加藤くんは念者念弟システムになじめない人でした。
しかも彼はすでに学生ではありませんでした。
加藤くんは折口先生の偉大な詩と真実と人間的魅力に惹かれながら、ひたひたと迫る先生のあつくるしくもありあまる愛情に戸惑い、逃れの道を探すうちに圧倒されてついに大石出石町(西大井)の家を出奔。きょうだいや親戚の家を転々として実家に落ち着き、折口先生の影をふりきるように結婚して所帯を構えますが、ビジネスマンとして働くうちに妻と別居生活を長く続けてついに破局。最晩年の折口先生と再会して岡野くん(岡野弘彦)や池田くん(池田彌三郎)などの高弟たちと最期を看取ります。その過程が端正でデタッチメントのきいた文体で綴られます。

折口先生と周辺の高弟群像の生活誌描写も非常に興味深い著作です。
昭和10年代の慶應義塾大学には折口ルーピー学生が存在していました。彼らは見かけだけでも天才折口のようになりたくて五分刈りにして丸眼鏡をかけてハンチングをかぶり、沈鬱な面持ちで講筵にはべっていたそうです。(おそらくこの学生群像は三島由紀夫『三熊野詣』の着想源のひとつでしょう)
折口ルーピー学生の集団と折口信夫の両性具有系のクィアな存在感に当初辟易していた加藤くんは、折口先生の文学と人生に対する熱い情熱と真率さにふれてしだいに先生に惹かれてゆくのですが、「とりふね会」の一員として折口先生の身の周りのお世話をすることになって弟愛の底なし沼に踏み入れることになります。
身の周りの世話を高弟たちに命じることで、しっかりした生活能力を身につけさせる狙いも折口先生はお持ちだったのではないかと思える場面も多々あります。春洋さんの教え子の婚約者の女性を家事手伝いに招くエピソードも出てきます。
なにより折口先生の食欲魔人ぶりが鮮やかです。
春洋さんに供えられた陰膳もしっかりたいらげる健啖家の折口先生、戦時中なのにどこからかおいしいものを手に入れてお弟子さんたちにもじゅうぶん供しておられます。大好きな柳田先生への差し入れに加藤くんを動員して栃餅を徹夜で作るエピソード、家出中の加藤くんに帰ってきてほしくてラブレターで包んだ鴨のローストを送るエピソードも。


全国に広がるお弟子さんネットワークを辿って民俗行事を見学していた話もでてきます。お弟子さんネットワークを駆使して民俗行事見学会・講演会を開催し、地方の町おこしに一役買ってもいたようです。なんと、西脇順三郎土星の憂鬱』「水晶売り」に登場する折口先生押しかけ弟子のモデル、大森くん(大森義憲)も登場します(→大森くんのプロフィルはこちら。水晶印材販売業を経て郵便局長となり、インディペンデント・スカラーとして甲州の郷土の民俗研究に関わっておられたそうです。
折口邸に来るとじーっとただ黙って一日中にこにこと坐って春洋さんに不気味がられた寡黙な大森くんも、先生を慕って故郷の民俗行事見学会を提供してくれるのです。
折口先生の存在感に圧倒されていた加藤くんが、同窓の大森くんのただ素朴なだけではない寡黙さに救れる思いがした。このエピソードも泣かせます。
見学旅行ではときに野宿も辞さなかった折口先生は、周遊旅行ではよい宿にとまりたがったそうです。折口先生は温泉好きでした。金沢の陸軍連隊に応召された春洋さんに会いたさに弟子を連れての温泉旅行も何度か開催してもいます。

それにしても(加藤くんから見た)折口先生の呪術的信念にもとづく女性蔑視も、起居を共にする弟子に肉体をもって愛の返礼を求める行為も、現代の大学なら間違いなく警告ものですが、念者念弟システムの存在が前提であるがゆえに妙にひたむきでお弟子さんによかれと思っての行動なのが伝るところもあり、非常に反応に困ります。
その異能で弟子を徹底的な無力感に追い込みながらもなにかのときには弟子の就職の面倒をみてやる折口先生です。こと加藤くんに対しては夜中に講義教案口述タイムを提供する単著の代筆まで申し出る、読んでいるうちに、いい先生なのか悪い先生なのかだんだんからなくなってきます。
折口信夫の死後、加藤守雄は生涯をかけての喪を弔う作品を書き続けます。その原点に21世紀のすぐれたクィア文学の問題意識を70年先取りしてなお前衛エピソード満載の生活があったことに改めて胸を打たれます。
しかし、20世紀前半の日本にも残存していた念者念弟システムになじめなかった自身の過去を虚実をまじえて明らかにすることは、詩聖と仰がれるようになった亡き師の善意からの暴力を告発することにもつながります。現在よりも異性愛規範が強固で明確だった時代の著作です。本書を世に問うことはどれだけ勇気の要る行為だったでしょう。想像に余りあります。