ホッキョクウサギ日誌

なかにしけふこのブログ。宗教学と詩歌文藝評論と音楽と舞台と展示の話など。

Tokyo Players Collection『IN HER TWENTIES 2020』(9月3日17時開演、シアター風姿花伝)

Tokyo Players Collection『IN HER TWENTIES 2020』を見ました。
上野友之脚本・演出。音楽の道をあきらめたある女性の20代を役年齢ごとに同じ実年齢の女優を10名起用して描く作品。「彼女」の一年一年が、そして「彼女」を演じる女優たちがとても愛おしく感じられてくる。見た後に誰かと語り合いたくなる作品。よいものをみました。

inher2020.info
誕生日を迎える20歳と29歳の「彼女」がインタヴューを受けている。インタヴューに導かれるように各年齢の彼女たちがときに回想シーンを演じ、ときに「会議」をし、思うにまかせぬ人生を受けとめてゆく。そのときのそのときの決断はそれぞれに真剣に検討した結果だった、ということは動かせない。「彼女」たちがそれぞれまったく異なる容姿の役者なのもよい。入れ替わりに周囲の人々も演じる設定にも、故郷の親友の結婚式のためのスピーチと重なりあう幕切れの回顧場面にも、その年齢ごとの説得力が加わる。それぞれの衣裳の選択にも、それぞれの年齢の「彼女」が流行の服のなかに求めた価値や思いが感じられる。クライアントの美大生と恋愛をする27歳の彼女の服装が背伸びしているのも、病気をかかえながら恩人のハラスメントを告発した28歳の「彼女」がほかの年齢の「彼女」にくらべて保守的な服装をしているのがいたましい。

とにかく上野友之の台本がうまい。2011年の初演時に29歳だった男性の劇作家が書いた作品で、これまで女性がなにかと蒙りがちだった人生のままならなさを男性もわがこととしてうけとめる洞察が各所に光る。
プロフェッショナルのオーケストラプレイヤーやソリストへの道を断念して編集業に転じたトランペット専攻の音大出身者を主人公に配したのも絶妙。真剣に音楽家になりたかった音大出身者のライフコースの取材が的確で、虚実のあわいの描写にも無理がない。多少なりとも音楽の道をめざしたことのある者の目からも安心して見られる。
作中の主人公は新江古田に住んでいる音楽学生で、吹奏楽部でトランペットを吹いていた経験があるらしい。女性が金管楽器奏者として第一線のオーケストラプレイヤーやソリストの道を歩んでゆくことは、日本ではまだまだなかなかにたいへんなことだけれど、「彼女」は技芸を「花嫁修業」としてとらえない。フランス留学をあきらめた24歳の彼女は、音楽家人生をかけてコンクールの「初台」での本選に進むのだが、当日会場までの道に迷って不本意な結果に終わってしまう。作中のコンクールのモデルが日本音楽コンクールだったらトランペット部門の開催は3年に1度、予選突破時にインタヴューを受けている、ということはそれなりに話題性のあるコンテスタントだったのだろうな、と想像できる。

音楽で食べてゆく道をあきらめて、学生時代のアルバイトのつてを頼って編集業に飛びこむ。堅実な人生を歩む故郷の友人たちが、音楽家としてキャリアを積む同窓生がまぶしい。恩人のハラスメントの告発、そして病気。はたちの自分が描いたういういしくも輝かしい自己実現のヴィジョンが砕かれていっても、「音楽家をやめても自分の名前で仕事をしたい」「価値の創出に関わりたい」という祈りのようなひとすじの希望を「彼女」はもちつづける。編集業に就くのもその祈りの反映だ。そこで懸命に働き、仕事を覚えて後輩を育て、恩人が同僚やクライアントに向けてきたパワーハラスメントという事実だと信じたくないようなできごとを告発するにいたる「彼女」の苦悩は、現在の日本で演劇も含めた「価値の創出」を生業とする人の苦悩や困難とも二重写しになる。
男女別文化が根深い領域に棲息して男性文化の既得権益を享受してきた人の立場からは、この洞察は出てこないかもしれない。

まだ「音楽をするなら恋をしなくちゃね」「芸術に関わるなら恋をしなくちゃね」と若い人が言われる俗流ロマン主義のなれのはてみたいな場所は存在しつづけているのだろうか。恋愛と結婚における自己決定をどこまで行使できるか、また誇示できるか、その観念に追われるかのように「彼女」は恋をする。友達がどんどん伴侶を得てゆくなかで、自分も伴侶を得られるかどうかも「彼女」の大きな関心事かもしれない。ときにさびしさを埋めるように恋をするなさけなさもあまさず描かれている。
21歳の「彼女」が出会う年上のバーマンの恋人を27歳の「彼女」が演じる。それは27歳の「彼女」がクライアントとして出会う美術学生との恋愛の鏡像でもある。結局29歳までに不倫も含めて何人と恋をしたの、10人!ときいて「彼女」たちが騒然とする。27歳の彼女に24歳の彼女が「このクソビッチ!」と投げつける。後から見てもそのときの判断はそれぞれに一生懸命だったよね、と励まし合う「彼女」たち。ジェンダーバランスが極端な環境で、恋愛などはじめからなかったことであるかのように生きることを求められた20代を生きた人(あった人)にも、わが身を省みて親密性の問題を考えさせる設定だ。

劇中の「彼女」には境遇が変わっても帰れる故郷があり、故郷にも音大の同窓生にもいまと未来を前向きに語り合える友がいる。それが強みでもあるし、この物語に希望の光を灯す要素でもある。ヴィオラ奏者でプロフェッショナルのオーケストラプレイヤーになれた同級生男子との友情も続いている。君、立派だよ。これが、友情すらも断ち切る競争主義や、保守的な生き方を望む家族とのしがらみとの闘いで血みどろの満身創痍の20代をふりかえる物語だったらもっと後味は苦かっただろう。

29歳の「彼女」が「はたちの貴女に言いたいことはありますか」と問われて発する返答、「ごめん、君がなりたかった29歳にはなれていない」。それでも生活を大切にしてほしい、自由に生きろ、と語りかける「彼女」のことばは、多くの観衆に響くだろう。
私だったらどうだろう。ごめん、君も君の思う自分にはなれていない。結婚はしてるが長期留学は諦めて子どもも生まないぞ、でも自分の名前で仕事をできるぞ、音楽と詩が君の人生を助けてくれるから、オトコノセカイとのおつきあいはほどほどにしろ、金はためろ、君はそれでも美しいから着たい服を着ろ、自由に生きろ、かしらね。

当日の観衆は不思議と男性多め。音楽家のみなさんにも、同業者のみなさんにも、女性に、特に30代以上の女性にもぜひごらんいただきたい舞台、公演は9月7日まで、配信(9月2日ソワレ、9月6日マチネ分の2回分、チケット予約には「観劇三昧」での事前会員登録が必要)もあるのでぜひ。
チケット情報はこちらから。

inher2020.info