ホッキョクウサギ日誌

なかにしけふこのブログ。宗教学と詩歌文藝評論と音楽と舞台と展示の話など。

前橋文学館「この二人はあやしい」展&萩原朔美・清家雪子トークイベント(2018年11月17日・前編)

前橋文学館「この二人はあやしい」展と『月に吠えらんねえトークイベントを見ました。 
みごとなキュレーションと配慮の行き届いた進行と運営、素晴らしかったです。
トークイベントは申込制先着100名。申込開始日当日、私は文献調査でロンドンに着いたばかり、荷ほどきして申し込み開始時間を待って国際電話をかけました。無事予約できました。ありがとうございます。

「この二人はあやしい」展は萩原朔太郎芥川龍之介アフォリズムの展示です。
室生犀星を通して友となった朔太郎に、芥川は終生「僕がいちばん君のことを理解している」と語りかけ、俳句は手掛けても自由詩はそれほど得意ではなかったにもかかわらず「僕はほんとうは詩人なんだ」と主張し続けたそうです。芥川と競いあうように朔太郎もアフォリズムを盛んに制作しました。ここでは、「文学」「出会い」「社会」「人間」「芸術」「自然」のテーマに沿って、芥川の『侏儒の言葉』と朔太郎の『新しき欲情』『虚妄の正義』『絶望の逃走』『港にて』からの抜粋の対比が展示されています。あまりにも違うように見える二人の共通点と、詩人と小説家の資質の違いが浮き彫りになる展示です。
二人の著作の刊本と自筆原稿のほかは文字を見せるしかない展示ですから、見せ方が凝っています。ガラスケースのなかに刊本やオブジェを入れ、ケースのガラス面にフィルムを貼ってステンシルでテクストを展示するインスタレーションのほか、白い朔太郎面・黒い芥川面を背中合わせに貼った大パネルに加えて、天井パネル、電光掲示板、壁面投影にもテクストを配置。2階の企画展コーナーぜんたいが二人の言葉が響き合う濃密な空間になっています。館長私物の秘蔵のミラーボールはそこで使ったか!の驚きも。ガラスケースに貼った黒いフィルムにくりぬいた文字からきらきら回る光が見えます。何時間居ても飽きません。
田端文士村記念館制作の在りし日の芥川動画も展示されています。和服に足袋でご子息と身軽に木登りして河童のようにいたずらっぽい笑顔を見せ、小穴隆一とトランプに興じるモノクローム映像のなかの芥川の姿も見られて、怜悧な夭逝の文豪がぐっと身近に感じられます。2階企画展示室の一番奥の窓際にある小さな空間に机と椅子を配して、親密な距離で机の上のモニターに投影される映像を坐って見られるしつらえも心憎い。
3階には清家雪子さんによる『月に吠えらんねえ』の朔くん龍くんの書き下ろし漫画も展示されています。われこそ真の詩人なり、の気概にみちた朔太郎になぜ芥川が「僕はほんとうは詩人なんだよ」と言い続けたのか…その謎に『月に吠えらんねえ』ならではの切り口で迫る作品です。二人のひりひりするような友情に感じるもののある方はぜひ。
観客参加型の「私のアフォリズム」を書くコーナーや、地元前橋の名士に依頼した人生訓をアフォリズムとして展示する一角もあり、それぞれに日々の悲哀や矜恃が滲みます。
芥川・朔太郎作品、地元の名士作品、清家雪子さん書き下ろし漫画はいずれも本展の図録に収録されています。前橋文学館のショップで注文できます。ぜひ。
常設の朔太郎コーナーと『月に吠えらんねえ』の朔くんコーナー、ミュージアムショップも充実しています。

トークイベントは萩原朔美館長と清家雪子さんの対談です。ヴィジョンをダウンロードするタイプの書き手と拝察。作品の読解にノイズを加えたくないので作家個人のプロフィルと生活は提示なさらないとのこと、見識だと思います。聴衆からは事前に質問票を回収、さらにフロアから質問タイムも設けられていました。作品の深奥にするどく迫る質問も多数。じつに心愉しいひとときでした。
前橋市名産のばらと特製キーホルダーをおみやげにいただきました。このお心遣いが嬉しいです。
清家先生にもご挨拶できました。嬉しいです。
聴衆の9割は老若の女性。学校で文学・歴史・思想を教える同業者らしき方々の姿も。運営進行ともに優れたファンミーティングで感服しました。
萩原朔美館長、清家雪子さん、前橋文学館の皆様、ありがとうございました。
トークイベントレポートは後編にて!
少々お時間をいただきますが、しばしお待ちください。