ホッキョクウサギ日誌

なかにしけふこのブログ。宗教学と詩歌文藝評論と音楽と舞台と展示の話など。

『ヒュパティア 後期ローマ帝国の女性知識人』 潜在的読者のみなさまからいただいたご質問

みなさまごきげんよう、なかにしけふこです。
おかげさまでエドワード・J・ワッツ『ヒュパティア 後期ローマ帝国の女性知識人』(中西恭子訳、白水社、2021年)がたいへんよく売れているようで、嬉しい驚きのただなかにいる翻訳者です。
結果がはっきりと数字の順位になってでるものをみるのは非常に久しぶりです。

www.hakusuisha.co.jp
これほど数学を勉強しておいてよかった、共訳でも新プラトン主義の数学文献(イアンブリコス『普遍数学論』)の翻訳に携わっていてよかった、と思ったことはありません。
さて、いくつか潜在的な読者のかたから質問をいただいておりますので、こちらでご紹介いたします。

グロ(ゴア描写)はありますか?

ほぼありません。
アカデミックな書法で書かれた評伝で、読者の感情を強い表現で直接にゆさぶることを目的とはしていないからです。安心してお読みください。
ヒュパティアがゴア描写を伴う悲劇の主人公に仕立て上げられた経緯についても第9章でしっかり論じられています(受容史・古代中世篇)。アカデミックな書法で書かれた文献の美点でもあります。ぜひ痺れましょう。

映画『アレクサンドリア』の話は出て来ますか?
もちろんです。
第10章(受容史・近現代篇)でがっちり論じられています。
映画で描かれるヒュパティアとその時代に釈然としなかった方も、レイチェル・ワイズのファンの方も、作中のオレステスとシュネシオスのファンの方も、俺たちのキュリロスがあんな悪い奴のはずがないとお思いの方も、ぜひお読みください。
巻末の訳者解説では、本書原著刊行後のヒュパティア受容史研究についても紹介しています。
(なお、Fateシリーズの二次創作群や、『歌う舟』シリーズにもヒュパティアを着想源とする人物が出てくることを私は今回初めて知ったのですが、両シリーズのファンのみなさんにも啓発的な点が多々あると思います。ぜひお読みください。)

フリーダ(フリーダ・カーロ)の生涯とどちらが悲劇的ですか?
(神奈川県・40代・女性)

時代も職種も地域もかなり違うので一概には比べられないのですが、個人的にはフリーダかなって思ってます。
痛みを覆ってあまりあるかのようにみえる生命力あふれる制作活動とその成果があるとはいえ、日々のパートナーシップが徹底的にうまくゆかず、負傷と持病で毎日痛いのはとてもつらいのではないでしょうか。
ヴィクトリア&アルバート博物館のフリーダ・カーロ展を見に行って、作品とともに展示された身の回りの品々や装具や写真や手稿類のたたずまいに、あふれる色彩と制作欲でも覆いきれない生の傷口が開いたままふさがらないような日々の営みの痛みにことばがでなくなったことなど思い出します。
ヒュパティアのつらさはおそらく現代社会のなかで尊厳を求めて生きる女性が日常的に経験するつらさに通じるものでもあります。たまたま家業を継いで高等教育に関わることになった1600年前の学識ある女性が不埒な眼差しを敢然と退けるためにどれだけ苦労したか。これだけでもまず、いまの我々にも通じるところが感じられるでしょう。

そして、悲惨な死をとげてはじめて「哲学の女王」「偉大な芸術家」として虚実をまじえて顕彰される苦難はまさに、レベッカ・ソルニット『私のいない部屋』でも言及されるあのつらみです。

どちらがつらいか。ぜひお読みください。

フェミニストです。勇敢な女性の先輩の人生に接して鼓舞されたいのですが、鼓舞されますか?
もちろんです。ぜひお読みください。著者による巻末謝辞もあわせてぜひお読みください。男性著者が女性の勇敢な先達の実像をひとりの人間としてフェアな視点で研究し、評伝を書くとはどのようなことか、腑に落ちるところがさまざまにあるかと思います。

数学の出てくるパートはむずかしいですか?
いかに当時の数学者(とくにパッポス)が当時の男性規範に忠実な同僚観をもって女性知識人をみていたか、という話題のなかで言及されます。
数学苦手でも読めると思います。

哲学苦手でも(歴史苦手でも)読めますか?
もちろんです。アレクサンドリアの歴史地誌概況や、古代末期の知識人と政治と宗教の関係の布置といった前提が説明されています。「公共的知識人」「学知による徳の涵養」といったキーワードに注目してください。具体的な人の動きを追ってゆけば読めるように書かれています。

一冊で後期新プラトン主義と後期ローマ帝国の宗教事情の見取り図や、いま注目の西洋古代史研究におけるジェンダースタディーズや西洋古典受容史研究の問題意識にふれることができるという、日本語ではいまのところ類書のない書物です。
ぜひお手にとってお買い上げいただければ嬉しいです。
Amazonの欲しいものリストに入れているかたは、ためらいなく注文しましょう。
たいへん出足が早いようです。
注文はどうぞお早めに。
Amazonでもたいへん売れ行きがよいようです。リンクを貼ります。

さっそくAmazonで法外な値段の中古品が出ていますが、法外な値段の中古品を買っても、出版社にもワッツ先生にも私にも一銭も(一セントも)入りませんので、ぜひ正規ルートでお求めください。

hontoと紀伊國屋書店へのリンクも貼りましょう。

honto.jp

www.kinokuniya.co.jp
直接『ヒュパティア』に関係のない質問もいただいています。

『ユリアヌスの信仰世界』はむずかしいですか?
私(なかにし)の博論本です。東大宗教学系の宗教学者の常として、「ほかの分野や、ほかの宗教の人にもわかるように、また無宗教を標榜する人にもわかるように語り、書く」訓練を私も受けてきました。じつは韻文だと思って読んでも読めるように書きました。
一般読者向けのユリアヌス評伝の企画がずっと手もとにありますが、難易度調整が課題です。薄めずにソリッドに学術的な書き方をしたほうが伝わるのではないかとも考えています。
『ユリアヌスの信仰世界』については、慶應義塾大学出版会の特設ページで雰囲気がわかります。ぜひ特設ページをお読みの上、お求めください。

www.keio-up.co.jp

Amazonでも入荷予定があるとのことです。こちらもぜひよろしくお願いいたします。


ところで、ハンドメイドビザンツ部にお入りになったとうかがいました。
今回の表紙のヒュパティアコス服は作らないのですか?

ラファエッロ《アテネの学堂》のヒュパティアとされる人物が着ている16世紀の僧形男装風侍者風長衣のことでしょうか。
厳密にはハンドメイドビザンツ部の対象ではないのですが、友人に「似合いそう」と言われたし、いずれ作ろうかなって思ってます。
じつはすでによさそうなフード付きワンピースの型紙をスウェーデンのインディーズ型紙屋で発見しています。縫う時間がじゅうぶんにとれたらの課題にします。