ホッキョクウサギ日誌

なかにしけふこのブログ。宗教学と詩歌文藝評論と音楽と舞台と展示の話など。

ダルカラマクベス(2019年12月22日、KAAT、マチネ) 思想なき恐怖政治と赤いゾンビ

記憶が蒸発しないうちにダルカラマクベスの話をします。ダルカラマクベスとは、才人・谷憲一氏率いる劇団DULL-COLORED POPによる《マクベス》公演のことです。

身に余る栄光を受け止めきれない気弱さがいつか嘘で嘘を塗り固める虚栄にかわるマクベスの墜落を現代の東洋の某島国で思想なき悪辣非道の限りを尽くす某宰相と重ねて描く、社会風刺にあふれる大どんでん返しのオリジナルエンディングつき演出。

使用台本は松岡亨子訳。シェイクスピアの書く言葉はやはりりっぱで、人間の卑小さが招く悲惨すら普遍的な人類の悲劇へと昇華する力があります。

出演俳優を6人に絞り、上演時間を90分に圧縮した慧眼も光ります。

古典を現代に再生させる方法としては良手でしょう。自己規制が息苦しい世の中ではありますが、政権批判を理由に「炎上」が起きないよう、恙無く楽日を迎えられるよう、観衆側で最後まで「ねたばれ」を防ぐ賢明さもありました。

ぴったりと髪の毛を七三に分け、律儀にスーツを着込んだ気弱な人が未来への恐怖と手に余る野望から道を踏み外して嘘を嘘で塗り固めて身近なライバルを皆殺しにしたあげく恐怖政治を行う独裁者となる東谷英人さんの「七三」マクベスと、気丈に夫を支えていたのにいつかファーストレディとなる未来をつかむ自分に陶酔して嘘で嘘を固めて気丈さを鈍感さに塗り替え、貞淑を虚無と放埒で塗り替え、不特定多数の夢見るセレブリティの役割演技にはまりこんでゆく淺場真矢さんの妖艶なマクベス夫人。この二人が圧巻です。

マクベス夫人のセレブリティファッションにも注目です。足裏の赤い12cmヒールにゴージャスなパワースーツや総レースのミディ丈のドレス。権力と富のにおいのする女装です。お風呂に浸かってiPadで夫の栄達の知らせに接して有頂天になる場面も秀逸です。

魔女の誘惑にまんまとのる気弱なマクベスも、野望のステージで輝くみずからを夢見て夫の野望を幇助する夫人も、安手のにほんすごいと安手のスピリチュアルに踊ってありあまる不安要素を見て見ぬ振りをする東洋の某島国の傾国の宰相夫妻にまつわるあれやこれやを想起させます。晩餐会の場面はさながら「桜を見る会」、ピット部分の客席にいる観衆に飲み物と招待状を配って饗応する趣向も共犯感を深めます。

それだけだと実にダウナーな展開になるところ、ダルカラードポップな色合いのバーレスク衣装に身を包んだ三人の魔女が徹底的にトリックスターとして混ぜっ返してくれるのが痛快です。陽気で自由ではつらつと放埒で淫蕩で好色で善悪の彼岸にある存在。現在のウィッカ(魔女宗)の潮流も踏まえた上での演出でしょう。予言を告げる声もマクベスを突き放す声もあっけからんとほがらかですらあります。なんと魔女たちは開始5分でマクベスを襲います。はっはーんこれは性魔術だな、これではあの気弱そうなマクベスが一気に堕ちるのは不思議ではないな、と不埒な笑いが胸に広がります。魔女たちはマクベス夫人、マクダフ/マクダフ夫人(百花亜希さん、後述)、バンクォーの息子フリーアンス(倉橋愛美さん)と二役だったりもします。別人とみるか、彼らの内なるalter egoとみるか。想像が広がります。

魔女たちが歌い踊る志磨遼平さん(ドレスコーズ)提供の劇中歌、きれいはきたないの歌(《マクベスの歌》)もとてもキュート。一度聴いたら忘れられません。ぜひ弾き語りで歌いたいです。


志磨遼平さんによる音楽が雄弁な舞台でした。濃艶な大音量のビッグバンドジャズにグレート・ギャツビー風の富と権力と性の匂いがたちこめ、人倫を一歩一歩踏み外すたびマクベス夫妻の背後にはつめたいピアノの音色でモーツァルトが流れます。

劇中で使用されたモーツァルト作品はKV397(幻想曲c-moll)、KV511(幻想曲a-moll)と《アヴェ・ヴェルム・コルプス》。ブリテン諸島と大陸ヨーロッパの鍵盤楽器音楽の伝統のなかでモーツァルトの音楽に託された「純粋さ」のイメジャリをよく理解した上での選曲と拝察します。

 

バンクォーと医師で2度死ぬ大原研二さんがじつに印象的です。タンバリン叩いて魔女たちと上司の宴会で歌い踊るバンクォーは、点滴を吊って病床にあるダンカン王(宮地洸成さん、ダンカン王の嫡男マルカム王子と二役)にも子供にも優しい忠実なおとうさんですが、魔女の予言に惑わされた上司に勝手に逆恨みされて暗殺され、晩餐会にはうああああと客席右側上方から階段をかけおり、ジェイソンのようなマスクをつけた血塗れゾンビになって登場。宴席を脅かしてなお華があります。殺人の血の染みの幻覚に悩むマクベス夫人の診療に訪れた医師は、立派な声でとうとうと語ったあげく、マクベス夫妻の秘密に気付いて殺されてしまいます。あ、大原さん二度死んだ。あんまりな役柄でからだを張って舞台に苦い笑いをもたらしてなお華があります。大原さんはうまいかたなのでぜひもっと見たいです。

原作通りなら、マクベスの非道な政治を指弾する雄弁な声明を宣べたマルカム王子率いるマクダフとの反乱軍による反撃でマクベスが倒されて大団円ですが、名乗りをあげるマクダフに銃弾一発打ち込まれる場面からまさかの展開に。幕切れ近く、福島三部作第2部の犬のモモ役もわすれがたい百花亜希さん演じるマクダフが原作通りにマクベスを殺そうとすると、マクベス側近の黒服ヒットマンに頭を撃ち抜かれ、「なんでだよぅ」と言って死んでゆく。この「なんでだよぅ」が忘れがたいです。ほんとうに「なんでだよぅ」な展開になります。

マクベスが極東の島国の某首相のように「閣議決定します!」と嘘で嘘を塗り固めるのです。笑ったけど笑えない。人が何人も死んでいるのに。鋭い風刺だけれど、笑うに笑えない。

『福島三部作』につづく現代社会への鋭い応答のある舞台です。英国演劇の洗練された社会風刺の手法が日本語演劇に無理なく接続される痛快さもあり、日本でこういうシェイクスピアがみたかった!という意見に私も一票。社会風刺は演劇の重要な役割の一つでもあります。ダルカラにお任せしないでどんどん続いていただきたい。

開始5分で衝撃の事件、恐怖政治と死者の遺恨と非業の死とゾンビへの変容、alter egoの集積体、現実への批評的なまなざし…プレゼンテーションは全く異なりますが《舞台刀剣乱舞 維伝 朧の志士たち》と続けて見ると共通するモティーフも見いだされて非常に興味深く思いました。

ダルカラマクベス、再演時にはあの大どんでん返しオリジナルエンディングを上演しなくてもいい世の中になっているとよいですね。