ホッキョクウサギ日誌

なかにしけふこのブログ。宗教学と詩歌文藝評論と音楽と手仕事と展示の話など。

山崎佳代子『パンと野いちご』(勁草書房)刊行記念トークショー(2018年8月7日・セルビア大使館)

山崎佳代子さんの『パンと野いちご』(勁草書房)刊行記念トークショーに行ってきました。旧ユーゴスラヴィア解体とボスニア紛争下での食をめぐる経験を、コソヴォでの難民支援文藝プロジェクトに参加した難民キャンプの女性たちや、周囲の方々から山崎さんが聞き書きしたルポルタージュが『パンと野いちご』に結実しました。
トークショーは山崎佳代子さん・阿部日奈子さん・ぱくきょんみさんの鼎談形式です。勁草書房で本書を担当した編集者・関戸詳子さん念願の企画とうかがいました。
セルビア大使館ウェブサイトでの告知はこちらです。

まず、山崎佳代子さんから会場と鼎談メンバーについて解説がありました。
この日会場になった現セルビア大使館の建物は旧ユーゴスラヴィア大使館を引き継いだもので、この場所が日本語へのユーゴスラヴィア文学・映画・文化の窓口を担ってきたとのこと。山崎さんがユーゴスラヴィアへの留学を志した1979年当時、留学生試験の会場でもありました。
今回の鼎談参加メンバー(山崎佳代子・阿部日奈子・ぱくきょんみ)は、三人とも書肆山田から詩集を上梓しており、阿部さんはスメデレヴォ詩祭に、ぱくさんはレシッタ詩祭(※レシッタはルーマニアセルビア系住民の多い都市)に参加したことも。ここに集っている人もセルビアの風を体験したことのある人が少なからずいるのでは、とのことでした。
 
ツイッターに放流した鼎談メモを再録します(対談部分敬称略)。
セルビアルーマニアでの詩祭の話題や、『パンと野いちご』で印象に残ったエピソードと食べ物を通して、詩と小さな声で語られる「ばらばらに散らばったもの」を集める営みについて語る夕べでした。

【山崎佳代子さん・阿部日奈子さん対談】
阿部日奈子:2011年、東日本大震災後にスメデレヴォ詩祭に参加した。詩祭のさいに震災後の日本と日本語文学の状況を説明する必要があった。村上春樹の文章も参考にして考えた。地震だけでなく原発事故について説明しなければならないのが課題だった。被害者でもあると同時に加害者であること、原発労働者の労働環境が劣悪であるという話が現地の詩人たちに深い印象を残した。
セルビア料理は肉料理が多くて家庭でも作れそう。 『パンと野いちご』に出てくるエピソードでは、家にたくさんの人を受け入れる懐の深さが印象に残った。

山崎佳代子:取材の過程では、多人数で食べられる鍋料理の発達が印象に残った。『パンと野いちご』に登場する同世代の人の経験についてはどう思うか。
阿部日奈子:ユーゴ時代に育ち、両親の時代の経験も知っていて、時代が変わる時にどうするか。この経験を際立たせる歴史の教員のエピソードが特に印象に残った。本人自身がユーゴの現代史であると同時にユーゴの現代史を俯瞰的に見られる立場でもある。
 スメデレヴォ詩祭で「蜉蝣日記」(※詩集『キンディッシュ』(書肆山田・2012)所収の婚外恋愛主題の詩)を朗読したら驚かれてしまった。セルビアには恋愛詩に対する保守的な観点と生涯現役の恋愛観のダブルスタンダードがあるとそのとき参加詩人たちからきいた。恋愛の駆け引きの話は詩ではなく小説で書くのだそう。
山崎佳代子:谷川俊太郎の「おならうた」の翻訳をアンソロジーに入れようとしたらセルビア側の編集者から顰蹙を買ってしまったことがある。ヨーロッパの人にとってスカトロジーはタブー。たぶんそれが駄目だったのかも。

【山崎佳代子さん・ぱくきょんみさん対談】
ぱくきょんみセルビアではピッタ(※パート・フィロでチーズを挟んだパイ)が美味しかった。
山崎佳代子:美味しいが生地(※パート・フィロ)の作り方を家庭で安定して再現するレシピを書くのが難しいので『パンと野いちご』のレシピに入れられなかった。
ぱくきょんみ:大陸出身の両親の好きな料理を食べ、日本で育つと洋食がしっくりくる。ロシア料理も好き。バルカン半島の料理にトルコとのつながりを感じた。
山崎佳代子:ピッタも大人数で分けられる料理ですね。
ぱくきょんみ:『パンと野いちご』の中ではやっぱり焼肉大会のエピソードが印象に残った。節約や工夫が理由ではなく、冷凍庫で溶けてゆく生肉を最後まで食べきって明日の力にしようとするところがいい。
山崎佳代子:ユーゴでは巨大な冷凍庫が普及していた。家族と近所の人に分けられるような零細農業が盛んだったので屠殺したものを貯蔵して分けて食べる文化がある。
ぱくきょんみ朝鮮半島の食文化もたくさん作ってたくさん分ける。食べ物を分け合い、技術を分け合い、一緒に食べることで人を人を結びつける文化を感じるようになってきた。バルカン半島でも同じようなことを感じる。食べ物の話題は直感的にわかる部分。 ラードの使い方も『パンと野いちご』のなかで丁寧に描かれていてためになった。
山崎佳代子:ラードは栄養価が高く、料理にも軟膏の基材にも使われている。ラードの使い方は難民も大切にしていた知恵だということがよくわかる。
ぱくきょんみ:キャベツのサラダの、キャベツを油であえてから酢を入れる調理法も美味しい。おすすめ。
山崎佳代子:コソヴォのトマトをいれるキャベツのサラダですね。食べ物の記憶を蘇らせることで生き延びられる。
ぱくきょんみ:山崎さんが語りかけることで難民の人たちが語って心をほぐすことができる。それが解放につながる。遠い国から来た人であることがさらに大事だったのかもしれない。
山崎佳代子:コソヴォの女性たちが語ってくれたことはまったく民族主義とは関係のないこと。池澤夏樹さんを招いての会で料理を食べながら現地の女性が初めて語ってくれた話もある。 今なら話せる、この人なら話せる、が重なった時にはじめて語られて記録に残ることがある。

三者鼎談】
山崎佳代子:今日の衣装はセルビアの伝統衣裳のねまき。古道具屋さんで買った。伝統衣裳の作り方が1960年代までは花嫁修行として継承されたが、その後放棄されたのだろうと古道具屋さんの談。このようにして伝統衣裳を着ることで伝承されてきた技法を伝えることができるのかも。
阿部日奈子:スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチが好き。砕かれてたくさんに散らばった真実を集める手段としての聞き書きという手法が『パンと野いちご』にもある。語り手のそれぞれに名前があるということが素晴らしい。
山崎佳代子:
『パンと野いちご』は担当編集者の勁草書房の関戸詳子さんに背中を押されて三年かけて書けた。ベオグラードでの隣人にダッハウ収容所からの生還者(※『パンと野いちご』に登場するラドミラさん)がいて、初めて話を聞くことができたところから始まった。若者の頃、反ナチ運動に関わった人たちからも話を聞いた。無神論から民族主義への転換の苦しみがあった。ラドミラさんのいう「神さまお迎えに来てくださらないかしら。キリストは私を肝心なところで助けてくださった。共産主義と信仰は矛盾しなかった」のエピソードも、歴史の中では忘れられてゆくが、料理を食べながら共有される。そこが詩と似ているかもしれない。
ぱくきょんみ:(『パンと野いちご』のコソヴォの女性たちが詩を作る)「私は詩を作りました」のエピソード。とてもつらいことひもじいことがあったときに言葉が人をつないで行く場に接したとき、詩を産みたいと思った人がいたのかもしれない。口承で伝えられて来たもののほうがむしろたくさんあると思うので、山崎さんにはぜひ民謡の口承の系譜を見ながら続けて欲しい。
山崎佳代子:(『パンと野いちご』所収の)コソヴォの女性の詩は 『みをはやみ』のセルビア語版を朗読したさいに、コソヴォの女性たちが応答として書いたものを一行づつ合わせたもの。聴き落としていた一行「パンの命が変わった」をセルビア側の速記者が書き取ってくれた。
阿部日奈子:これから散らばった記憶を集めることが大事になってくる。語りたくても語れない人がたくさんいる。死者だけでなく、どうしようも取り返しのつかない体験を持つ人がいる。まず語れるところから語ろうとしている人たちの言葉が本書に出てくる。
山崎佳代子:体験主義は怖い。湾岸戦争後の紛争と経済封鎖は他人事ではない。語れない人たちのなかには子供達もいたかもしれない。 物事は単純化してしか報じられないので我々は料理を作ることくらいしかできない。21世紀の救いってなんだろう?誰かに権利もないのに罰を与えているのかもしれないし。
ぱくきょんみ:救いはないと思っているけれど、絶望を知るとなにかが動く。希望とは呼びたくないけれどなにかがあると信じている。
阿部日奈子:救いはないと思うけれど、忘れてしまうことのほうが怖い。忘れないようにしたいと思う。
山崎佳代子:みなさんもこの本からなにかおいしいものを作ってください。

鼎談は以上です。

これに続いて、セルビア民族楽器奏者・角岡太郎さんのバグパイプ演奏がスペシャル・サプライズとして行われました。セルビアには北のバグパイプ(三音のガイデ、ハンガリーからクロアチアにかけて演奏される)と南のバグパイプ(二音のガイデ、マケドニアブルガリアにも)がありますが、この日の使用楽器はヴォイヴォディナのヤギの風袋のバグパイプ。ふいご付きなので吹き歌いができる笛(つまり一人でバンドができる笛)とのこと。ヴォイヴォディナ民謡はメジャーの曲が多い。南へ行くとマイナーの曲が多いが、南のレパートリーでもメジャーの曲ならヴォイヴォディナ型の楽器でできるとのことでした。

『パンと野いちご』
勁草書房特設サイトはこちらです。目次も見られます。
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチによるルポルタージュと志を共有する好著です。

www.keisoshobo.co.jpAmazon ではこちら。

本書にはセルビア料理のレシピもついています。
山崎佳代子さんは料理の達人です。彼女ならではのとてもおいしく家庭で気軽に再現できるものばかりです。大いにおすすめします。レシピの一部はあとがきとともに「けいそうビブリオフィル」の特設サイトで見られます。

keisobiblio.com

なお今回登壇された阿部日奈子さんによる『パンと野いちご』の書評が現代詩手帖2018年10月号に掲載されています。
1968年特集と(私も寄稿した)「『月吠』番外編」と併せてぜひご覧下さい。
思潮社『現代詩手帖』のサイト Amazon