同誌同時掲載の1968年詩特集は、『帷子耀習作集成』(思潮社)と四方田犬彦・福間健二編『1968 [2] 文学』(筑摩書房)刊行記念企画です。
四方田犬彦さん帷子耀さん藤原安紀子さん鼎談、福間健二さん蜂飼耳さん対談、佐々木幹郎さん金石稔さん秋亜綺羅さん倉田比羽子さんの文章は、語られなかったことで伝説となった政治の季節の詩についての貴重な証言。いまだからこそ語れる(聴ける)ものだと思います。かの時代の詩に触発されて制作活動を始めた1970年代以降生まれの詩人たちの思考も浮き彫りにされる巧みな人選と構成です。
詩手帖さん良くぞ特集を組んでくださった。
四方田犬彦さんと藤原安紀子さんとの鼎談で帷子耀さんが語る、「大人たちには時分の花と呼んでほしくなかった」エピソードと、塚本邦雄をはじめとする名だたる詩歌人たちに絶賛されて詩集を上梓したら初版1500部がさっぱり売れずに筆を折って家業を継いだエピソード。帷子さんの期間限定制作復帰作品の自在な巻頭詩と、「高三コース」投稿欄で寺山修司に見出されて第一詩集2000部も完売した秋亜綺羅さんの回想と合わせて読むと何度読んでも胸に迫ります。詩人の栄光とポピュラリティと経済活動のゆくえを考えさせるものでもあります。
1968年特集は『月に吠えらんねえ』特集とも交差します。
どちらの特集でも政治の季節の詩と少年性と女性詩人と女性性のゆくえについて言及されています。今回の「『月吠』番外編」では佐藤弓生さんとタケイ・リエさんがこの問題に明快に斬り込んでいます。タケイさんは作中世界の女性登場人物の立場を「x軸=先進性と受容性/y軸=自立と依存」マトリクスを作って考察されています。見ては私はどこに入るかな、と思わず考えてしまいます。
日本語詩の近代と現代の連続性/非連続性について考えたい皆さまも、『月に吠えらんねえ』屈指の神回「あこがれ」(タイムスリップした石川くん(石川啄木)がゲバルト・ローザ(学園紛争期の女性革命闘士)と出会う挿話)や、清家雪子先生の前作『まじめな時間』に登場する、貧困と病苦のうちに死んで怨霊となる学園紛争期の革命闘士の妻にぴんと来た月吠ファンの皆さまもぜひ手元に置きたい一冊です。
清家先生の朔くんタイムスリップまんが続編「だめになるやつ」も『月に吠えらんねえ』公式ツイッターアカウントからの再録で掲載されています。一見たんたんと醒めているように見えてしっかり居候の朔くんを受け止める詩を書く青年の人となりも、予想以上に21世紀に順応してさっそくテレビとネットに夢中になりつつも詩の話になるとひたすら親身で真剣な朔くんの愛すべき人っぷりも読んでいてだんだん愛おしくなってきます。「だめになるやつ」とその後のエピソードの初出はサッカー・ワールドカップ時でしたから、朔くんがひたすらリアル朔太郎に似た美形のサッカー選手(ろなうど・はめす・めるけんす)に思い入れる挿話もあり、じつに味わい深いです。
現代詩手帖2018年10月号をみなさまぜひお求めください。