ホッキョクウサギ日誌

宗教史、宗教学、詩と短歌と文藝評論とその周辺をめぐるよもやまばなし。

『うたえ!エーリンナ』をよみました

佐藤二葉さんから『うたえ!エーリンナ』をご恵投いただきました。
ありがとうございます。
佐藤二葉さんは総合ギリシア劇を手がける21世紀のバッケー的存在です。
星海社のまんがウェブマガジン「ツイ4」に連載された4コマまんが連作の書籍化です。
ツイ4のサイトはこちら。
紀元前4世紀の女性詩人に、エーリンナという人がいます。『ギリシア詞華集』に収録されたエピグラム3篇と、夭逝した親友バウキスへの思いを英雄叙事詩の韻律ダクテュリコス・ヘクサメトロスでうたいあげた詩「糸巻棒」(現在は断片で残存)で知られた人です。
 
はるか後代のビザンツ帝国期(10世紀)の『スーダ事典』にも立項されている人ですが、ここにはなんと〈エーリンナはサッポーと同時代人だった〉という説がでてきます。
現代では異説として否定されていますが、もしほんとうにそうだったらきっと鮮やかな詩魂の交歓があったはず…
その想定のもとに紀元前6世紀のレスボス島を舞台として、サッポーの学校に学ぶエーリンナと学友たちの詩人修行/花嫁修業群像を描いた快作です。考証も確かで、紀元前6世紀の社会と現在の人間観や社会規範との違いを現代人に考えさせるように描く配慮も備わった作品ですので、学校でも安心して推薦できます。構成も巧みで、芸術論・ジェンダー論の観点からみても興味深い作品です。
 
古代ギリシアの社会はたいへんにジェンダー役割分業のきびしい社会でした。公的な場に出られるのは自由人男性だけ。女性にはよき主婦として家政の裏方を司り、家で糸をつむぎ、機を織り、そしてなにより多産であることが求められていました。
年頃の少女たちにも少年たちと同様に教育を受ける機会がありましたが、その目的はやはり可能な限りよいお家に嫁いでよき花嫁になること。よき花嫁になるためには同年配の男子とは話してはいけない(自由恋愛などご法度)。詩歌や竪琴の演奏を学ぶのも花嫁修業の一環でした。
 
詩歌の社会的地位が高い時代でした。詩歌は神々の霊感を受けて作るもの、神々への捧げものとして歌われるもの、スポークン・ワーズとして共有されるものだった時代です。
物語はレスボス島でのアゴーン(朗唱・合唱上演を前提とした詩歌コンクール)に向けての傾向と対策と練習を軸に進んでゆきますが、当時の詩歌をめぐる状況と上演に向けての練習への洞察やパフォーマー心理の描写に佐藤二葉さんの俳優ならではの視点が光ります。
芸術家の先輩としてよき教育的配慮をもって生徒たちに接するサッポー先生もアルカイオス先生も魅力的ですし、サッポー先生の学校の生徒さんたちも年相応のいろいろを抱えつつもチャーミングです。
エーリンナが天真爛漫そうに見えて、社会に順応した少女として生きるにはさまざまなつらさを抱えたキャラクターに描かれているのが味わい深い。
サッポー先生の学校に花嫁修行のために入学したエーリンナの心の奥底には人知れず燃える野望がありました。
サッポー先生に詩を習って、いつか最高の詩人になって歴史に爪痕を残したい。
ムーサに魅入られた者の
目を通して社会の諸矛盾が見えてきます。
サッポー先生が紡織と詩歌の類似点を語ってエーリンナに(こんな社会のなかでも)女性が生きる喜びを伝え、よいお嫁さんになりたい
同輩たちがアゴーンに向けて心をひらいてゆく様子も説得力があります。
良家の娘で美人で家事全般おおいに得意でよいお嫁さんになりたい古代ギリシアのパーフェクトガール、バウキスが、はじめは謎の同輩だったエーリンナと友情を紡いでゆく様子もほほえましい。女性どうしの友愛のモティーフが細やかに描かれていて胸打たれます。日本のマンセントリックな社会のなかにもひっそり息づく女性の友情に支えられてきた経験の多いものとしては嬉しくよみました。
 
ここでアルカイオス先生の弟子で歌の上手い美少年リュコスをエーリンナのライバルに配したのも絶妙です。
リュコスは当時の家父長制的な価値観をがっちり内面化した早熟な少年です。リュコスは自信家さんですが、自称念者候補の年長者にもててもてて困る自分をもてあまし、やがては家業を継がなければならない未来をもてあまして、エーリンナという突如現れた技芸のわかりそうな女性のライバルにそれはそれは尊大に接してつらくあたります。リュコスの友人メノーンが比較的社会に順応した少年として描かれているだけに、リュコスの立ち居振る舞いを通して、女性を対等な存在として見ることを少年たちに教えない社会や、なにかと美化されやすい古代ギリシアの念者念弟システムの不条理も浮かび上がります。
ほがらかに先生や先輩に秘訣を教わり、親友に支えられていても、情熱だけでは突破できない状況がつづくエーリンナ。技芸にすぐれた少年には敬愛の念を受けとめてもらえるどころか、彼女の父親や兄などの世の多くの男性と同じように「女のくせに人前で歌うなんて生意気だ」とさんざん冷たい言葉を浴びせられる。だんだん人前で歌うことや詩歌にかかわることじたいへの恐怖を心のなかに植え付けられてゆきます。当日の舞台でひるんでしまうエーリンナの思いはおそらく21世紀の私たちもどこかで体験したことがあるものかもしれません。
 
デウス・エクス・マキナは出てきませんが、アゴーンの審査結果は爽やかです。蜜のような声でつむがれる歌を神がお喜びになった。ムーサイに微笑まれた人はその微笑みを受けて生きよう。このメッセージには21世紀のバッケーの祈りが籠められています。

西洋古典学を専攻した女性の描き手によるなつかしい絵柄のチャーミングでラヴリーなまんがで古代ギリシア抒情詩の世界が紹介される日が来るとは感慨深いです。日本における古代ギリシア詩の受容史に記されるべき一冊だと思います。
 
ところで書籍版『うたえ!エーリンナ』収録の後日談では、美青年になったリュコスは相変わらず崇拝者に追いかけられており、「おれは男だ!」「念弟になるなんて気持ち悪い!」と虚勢を張っています。なんだか生きるのがつらそうです。メノーンはある男性の念弟になったことをリュコスに秘密にしています。「良い人を選べば気持ち悪くないのに」。メノーンはうまく念者念弟システムに適応できたわけですが、リュコスはそこに適応したくないのですね。美少年(美青年)として性的に消費されたくない男子がそこをつきぬけて立派なおとなになりたいあまりに強者としての規範を強く内面化した超男性をめざしてしまうとなればなかなかにつらい。ムーサの愛をうけて生きるものはジェンダーを超えて友となれるはずだ、と信じる心しなやかなエーリンナの友情がリュコスのかたくなさを打ち破る日は来るのでしょうか。

佐藤二葉さんのブログ「らくがきルーズリーフ」の「『うたえ!エーリンナ』によせて」もとてもよい文章です。よくぞ書いてくださった。みなさまぜひ。

futaba-amethyst.blogspot.jp

後日談や古典ギリシア文学もののまんがをもっと読みたいので二葉さんぜひがんばってください。楽しみにしています。

『うたえ!エーリンナ』には紙版と電子版があります。
こちらです。→