ホッキョクウサギ日誌

なかにしけふこのブログ。宗教学と詩歌文藝評論と音楽と舞台と展示の話など。

震災後文学対談:日本近代文学館「声のライブラリー」伊藤比呂美・新井高子・若松英輔回(9月12日)

日本近代文学館の「声のライブラリー」を見に行きました。お題は震災後の詩について。
天変地異の後に書かれうる機会詩について考える回でもありました。
伊藤比呂美さん司会、若松英輔さんと新井高子さんがゲスト。

カルフォルニアと熊本にいてまったく共感することができなかったのでいろいろな震災後文学を読んだ。『想像ラジオ』は面白かったけれど」と正直におっしゃる伊藤比呂美さん。

「震災後にリルケなどを読み始めて詩のすばらしさがわかった」「僕は死んでも僕の言葉は残る」とあくまでもダイブンガクの徒であることをアピールし、ロマン主義的な「霊感を受けて民に寄り添う預言者」としての詩人像を希求する若松英輔さん。


日本語を第一言語としない学生のための日本語教育に携わる詩人としての立場から率直に震災後文学の現在について語る新井高子さん。

三者三様の立場を結び、議論の核心に迫る伊藤さんの司会がすばらしかった。

戦争協力詩のトラウマと仮想の読者に対する過度の配慮から、詩の呪力的機能を震災後の詩歌が自ら封じてしまったのではないか、という新井高子さんのご意見にうなずくところ大でした。
「震災詩を書く詩人も多かったが書くこと自体を批判する詩人も多かった。天変地異に際して作品をつくることじたいへの批判のなかに、詩の呪力そのものへの批判がこめられているように感じた」「現実にはあまりにも悲惨すぎるから冗談を言って笑って前に進むしかないという状況もあったはずなのに、荘重な音楽とともに悲惨な被災地の光景を映すテレビの映像がことさらに悲劇的な気分を盛り上げようとしていると感じた」とのお話や、「ろうそくの炎がささやく言葉」シリーズに参加した経験から、詩の朗読会の聴衆や読者が体験の共有を求めて機会詩を欲しているいるように感じられた、というご指摘も。
日本現代詩歌文学館の協力による、大船渡の仮設住宅の集会場を会場にした気仙方言で啄木の短歌を語りなおすプロジェクトの紹介もありました。
口語のリズムにのって語られると啄木の言葉が生き生きとしたユーモアと情感をもって立ち上がる。作例の紹介が面白かった。これはもっとくわしく知りたいところです。

「悲しみには優劣軽重はない」「記名性のある詩すらやがて無記名性を帯びる」など、若松さんのご発言には示唆に富むものもありましたが、現代日本の詩人に預言者的役割や、魂の慰撫や救済のためのことばを発する役割という、宗教家が担ってきたであろう機能を肩代わりさせるのは、いささか荷が重いのではないかとも感じられました。


当事者でなくても震災について語ることができると考えるけれども、死を語れば巨大な死を知ってしまった人から見られているような気がする。
このような見解を新井さんも若松さんも共有しておられるようでした。
いまだ作者の当事者性を重んじる短詩型文学とは対照的であるかもしれません。

私自身は震災の詩をほとんど書いていません。あの震災で幼い頃毎年夏休みにあそんだ陸中海岸の海辺が更地になってしまったのを見てしまった、東北に縁のある人間としては、しばらくはやはり得意のカタストロフィ描写を発揮する気にはなれませんでした。

もの書くひとも生身の人間、表には活動としてあらわれない沈黙の時期も制作期間のうち。第二詩集にむけて何をするか、考える機会になりました。


ところで、あらかじめ共感を目的に書かれた機会詩は後によくて心性史の史料にはなるかもしれないけれど、史料として使われたり作品として残るかは時の運にもよるのではないかと思います。あたりまえかもしれませんが、現代詩関係のみなさんいかがでしょうか。