ホッキョクウサギ日誌

古代末期地中海世界の宗教史、宗教学、詩と短歌と文藝評論とその周辺をめぐるよもやまばなし。

塚本邦雄展に行ってきました(北上・日本現代詩歌文学館、2016.3.19-6.5)

 北上の日本現代詩歌文学館塚本邦雄展を見に行きました。没後10年回顧展です。

 塚本邦雄旧蔵書・旧蔵音源映像資料と本人直筆原稿・書簡ほか関連資料は死後散逸の危機を免れました。日本現代詩歌文学館に所蔵されているもののほか、ご子息の塚本靑史氏が保管している遺品も多数あるとのことです。今回の展示はこのなかから厳選された出展品を通して、塚本邦雄の人となりと作品世界をデビュー以前から晩年までの時系列に沿って同時代の文学史のなかでの位置に照らして紹介するものです。

 コンパクトな展示ですが、じっくり見ると1時間半はかかります。限られた空間と出展点数のなかで塚本邦雄の魅力を余さず伝えるよい展示です。企画にあたられた関係者のみなさまそして学芸員のみなさまのご尽力にひたすら頭が下がります。

 展示室中央のインスタレーションが出色です。緑色万華鏡光が床に投影され、その上に塚本邦雄の代表作を印刷した透明アクリル板の短冊が15本吊されています。

 

日本脱出したし 皇帝ペンギン皇帝ペンギン飼育係りも
突風に生卵割れ、かつてかく撃ちぬかれたる兵士の眼
暗渠の渦に花揉まれをり識らざればつねに冷えびえと鮮しモスクワ

も、もちろん掲出されています。

 緑は塚本の愛した色でした。万華鏡光は木漏れ日にも妖しい炎にも宝石のようにも見えます。作品を印刷したアクリル板の短冊はときにきらきらと、ときにしんとして透明です。新古今集的な美意識に立ち、言語によって幻をたちあがらせようとする営為は、現実の悲惨に相対して身のうちに燃え上がる憤怒や危機意識と深くかかわるものであったことが、このインスタレーションからも身近に感じられるでしょう。

 展示は「I 前史-『水葬物語』以前 1920-50」「II 『水葬物語』から『日本人靈歌』まで 1951-58」「III 『水銀傳説』から『感幻樂』まで 1959-69」「IV 『星餐圖』から『天變の書』まで1970-80」「V 『歌人』から『黄金律』まで 1981-91」「『魔王』から『約翰傳僞書』まで 1992-2005」の6部構成です。

 塚本邦雄が博覧強記のひとであって、巧みな象徴操作と句割れ・句跨がりの技法を用いて壮麗な作品世界を構築したことは知られるところです。歌人の役割は言語によって幻を現前させることだ、と喝破した塚本は、晩年に自身「變」と呼んだ詩境に到達します。現実の悲惨に対して強烈な疑義と韻律や象徴を用いた異化効果を提起することで「負」と「負」が掛け合わされて「正」となる境地の意です。この回顧展では、塚本の「變」の詩境が円熟に至り、やがて生のささやかさはかなさを短歌によって肯定するまでの道程を過度な思い入れや英雄化を排した展示で語ります。

 塚本邦雄歌人となる以前の、結社選びの悩みを実兄に相談する書簡も展示されていました。新古今的な歌風が自らの資質だということも、新古今的な作風のある結社に入ったほうがなじめることもよくわかっている。けれども万葉的なますらおぶりの範型に自らを流し入れて鍛えなければならないのではないか。第二次世界大戦下のことです。そんな悩みを若き塚本邦雄も抱えていたのか。改めて時代を思いました。

 夭逝の天才歌人・杉原一司と切磋琢磨しつつ励ましあいつつ展開した歌誌『メトード』の活動。岡井隆寺山修司らとの出会いと前衛短歌運動。装幀の魔術師・政田岑生との稀覯本制作活動。そして晩年の「變」の詩想の結実。要所要所で選択を誤ることなく、のびのびと才能の翼をはばたかせ、歌人としての円熟へと向かう過程がいずれもデタッチメントと愛情と敬意にあふれる展示で語られます。歌稿ノートのなかの代表作・代表作の原型が記された頁、塚本邦雄歌人人生の転回点に交わされた書簡、自作揮毫作品と刊本・関連資料の配置もたいへん的確です。1970年代以降における政田岑生デザインの稀覯本や直筆袖珍本は歌魂絢爛たる「負数の王」としての塚本邦雄ブランドが確立されていたからこそ制作・刊行できたことがものを通して伝わります。

 塚本邦雄が生きた時代は手書き文化の時代でもありました。塚本邦雄が毎年膨大な数の短歌を制作してはB4判(?)縦書きの原稿用紙あるいは縦罫用紙に歌稿ノートとして清書し、厳選に厳選を重ねて代表作たるべき歌集収録作品を選んでいたことがわかります。細いペン先で書かれた几帳面な筆跡から、自作を記録に遺そうとする断固たる意志も偲ばれます。図録目録からは年単位で歌稿が整理されていたことが伺えますが、実態をより詳しく知りたいところです。歌稿ノートのファクシミリ化、歌稿ノート収録作品の刊本化や電子化・データベース製作など文献学的研究に向けた整備がなされてはじめて本格的な塚本邦雄研究がはじまるでしょう。

 各時期の塚本のポートレイト写真も掲出されています。丸めがねに蝶ネクタイ、服装のセンスも洒脱です。スピーチと自作朗読の音声も聞けます。声質と語り口は闊達で、暖かみとユーモアと韜晦にあふれています。塚本邦雄本人によるあのユーモラスな、自作の詩魂玲瓏たる世界をどこか突き放すようにとぼけて闊達な朗読やスピーチを聴いてしまったら、塚本邦雄作品が脳内に音声で再生されるときの印象がかなりかわって感じられるかも知れません。新鮮な発見があります。

 塚本邦雄は音楽や映画にも通じた人でした。音源鑑賞会(「レコード・コンサート」)も主催し、1975年にはシャンソン随筆集『バラ色のゴリラ』も上梓しています。クラシック音楽やシャンソンを録音したカセットテープがおよそ1000本、映画を録画したヴィデオテープが800本ほど遺されているとのことです。その一部も今回展示されています。幅広い選択眼、そしていかにも塚本邦雄らしいラインナップで、彼の映画と音楽観の素顔を知る上でも今後内容の分析が待たれる物件です。健康な知的美的好奇心の持ち主であったことも伝わります。

 図録も充実。篠弘・日本現代詩歌文学館館長を筆頭に、岡井隆・馬場あき子・佐佐木幸綱・安森敏隆・永田和弘・小黒世茂・藤原隆一郎・江畑實・坂井修一・加藤治郎各氏がエッセイを寄稿しています。塚本邦雄と青春の志を共有した人々の貴重な証言が読めます。展示解説は島内景二氏が担当。塚本青史氏選による塚本邦雄秀歌鑑賞(尾崎まゆみ・阪森郁代・林和清・森井マスミ各氏が鑑賞文を担当)と百首選、物部鳥奈さん作成による略年譜も収録されています。図録で関心をお持ちになったみなさまには強く訪問をお勧めします。実見してはじめてわかることもあります。
 図録の目次が笠間書院ブログに掲載されています。詳しくはこちらをどうぞ

 
 今回は歌人としてのライフコースと短歌に焦点を当てた展示でしたが、塚本邦雄の小説作品や歌論、そして盟友たちとのさまざまな文学運動を扱う展示も今後期待されます。 

 

 ところで今回は法事の帰りでしたが、両親も「見たい」というので車に乗せて行ってもらいがてら案内しました。短歌を作らないひとでも、書道なり文人の生き方なり、関心を持てる糸口がさまざまに発見できる展示だったようです。案内してよかった。家族や身近な大切なひとに詩歌の良さを伝えたくて伝えそびれているみなさん、もし可能であればご一緒にごらんになるのもおすすめです。やはり日本語短詩型文学の伝統に根ざした刷新を試み、世界文学につらなる威信ある表現を構築した人の仕事を見ることで伝わるものが確実にあります。言語と調べの冴えと象徴に託して真実を射抜く美意識に貫かれたたゆみなき歌人の歩みに背中を押される思いでした。所属結社に玲瓏を選んでよかった。

 会期は6月5日までです。第2週までだったら西洋中世学会ついでに寄れたのに。いずれ機会があれば塚本邦雄旧蔵書・旧蔵音源映像資料・歌稿ノートについて詳しくうかがってみたいと考えています。


 なお、密林堂に塚本邦雄の作品集のうちいま比較的入手が容易な書籍をブラウズできる頁ができています。密林堂の手にかかるとこんなレイアウトになるのか。リンクを貼ってみました。
 塚本邦雄は百首選の名手でした。講談社文芸文庫にも各種収録されています(『花月五百年』は二百首選。『王朝百首』は電子版あり)。

評伝なら塚本靑史『わが父塚本邦雄』(白水社、2014)をまずはどうぞ。
歴史小説を手がけるご子息だからこそ伝えられる塚本邦雄像、そして貴重な逸話の数々。好著です。

初期塚本邦雄に特化した評伝なら、楠見朋彦『塚本邦雄の青春』(ウェッジ文庫・ウェッジ、2009)もぜひ。
 もちろん気合いを入れて読みたいみなさんには全集(ゆまに書房刊)をご覧になることをおすすめしますが、なにぶんにも高額です。最初に塚本作品を読むなら島内景二選・解説『塚本邦雄』(コレクション日本歌人選・笠間書院、2011)をぜひ。塚本邦雄に短歌を師事した日本文学者ならではの選と解説です。現在おそらくもっとも入手が容易な塚本邦雄アンソロジーです。
国文社現代歌人文庫版の『塚本邦雄歌集』(1988)、『続 塚本邦雄歌集』(1998)、齋藤愼爾・塚本靑史編による追悼特集『現代詩手帖特集版 塚本邦雄の宇宙―詩魂玲瓏』(思潮社、2005)も比較的入手が容易です。
私は思潮社現代詩文庫版の『塚本邦雄歌集』(2007)が装幀も判型もすきなのですが版元品切れのようです。2016年4月2日現在、密林堂では中古のみで正価の2倍の価格がついていますが思潮社には在庫あり。お近くの書店を通してご注文ください。直接注文も吉です。hontoには配本がありますが紀伊國屋書店ウェブショップには配本がありません。拝啓思潮社さま紀伊國屋書店ウェブショップと密林堂にもどうぞ配本をよろしくお願いいたします。

リマインダー:「古代ギリシャ・時空を超えた旅」展

みなさんこんにちは(こんばんは)。

6月、東京国立博物館平成館に「古代ギリシャ 時空を超えた旅」展が来ます。
(主催:東博ギリシャ共和国文化・スポーツ省、NHKNHKプロモーション、朝日新聞社、企画協力:東映、後援: 駐日ギリシャ大使館、協賛:日本写真印刷、三菱商事
ウェブサイトに詳細が出つつあります。
ウェブサイトフルオープンは3月14日とのこと。

www.greece2016-17.jp

東京での会期は6月21日(火)から9月19日(月・祝)まで。
月曜休館(ただし7月18日、8月15日、9月19日は開館、7月19日火曜日は閉館)。
9:30-17:00、土日祝日は18時まで、金曜日と7月8月の水曜日は20時まで開館、
入館は閉館の30分前までです。
ホームページの画像が動きます。酔いやすいかたは注意してあけてください。

東博のウェブサイトでの告知

www.tnm.jp

を引用します。
ギリシャの彫刻、フレスコ画、金製品などを展示します。新石器時代からヘレニズム時代までの各時代、キュクラデス諸島、クレタ島ほかエーゲ海の島々や、ア テネ、スパルタ、マケドニアなど、ギリシャ各地に花開いた美術を訪ねる旅に出発しましょう。ギリシャ本国の作品のみによるものとしては、日本初の大規模なギリシャ美術展です。」
とのことです。

東京展の後は、長崎県美術館(10月14日(金)-12月11日(日))と神戸市立博物館(12月23日(金・祝)-2017年4月2日(日)へ巡回するとのことです。

リマインダー:「世界遺産 ポンペイの壁画展」

みなさんこんにちは(こんばんは)。
ポンペイの壁画展のリマインダーをどうぞ。
東京、名古屋、兵庫、山口、福岡と巡回します。

「日伊国交樹立150周年記念 世界遺産 ポンペイの壁画展」

巡回情報はこちらを拝見しました。
2016年4月29日(金・祝)-7月3日(日)森アーツセンターギャラリー
2016年7月23日(土)-9月25日(日)名古屋市美術館
2016年10月15日(土)-12月25日(日)兵庫県立美術館
2017年1月21日(土)-3月26日(日)山口県立美術館
2017年4月以降、福岡へ巡回予定

東京展の特設サイトはこちらです。

東京新聞:世界遺産 ポンペイの壁画展
(東京展主催:東京新聞、TBS、森アーツセンター、後援:外務省、文化庁、イタリア文化財・文化活動・観光省、イタリア大使館イタリア文化会館、伊日財団、協賛:旭化成大日本印刷日本通運、協力:アリタリア―イタリア航空、日本貨物航空学術協力:ナポリ国立考古学博物館、ポンペイ監督局)
開館時間は10:00-20:00、入館は閉館時間の30分前まで。
4月29日から7月3日の会期中無休です。
なんとふとっぱら。
ウェブサイトにはみどころ解説もあります。
ポンペイレッドを意識した背景色のウェブデザインもゴージャスな味わいです。
まさかの六本木ヒルズの高層階で見るポンペイの壁画。展示の方法にも興味を惹かれます。みなさんぜひ。


震災後文学:いとうせいこう『想像ラジオ』(河出書房新社、2013)

津田塾でご一緒している木村朗子先生のお誘いで、3月19日に物語研究会のミニシンポジウム「災厄と物語」で登壇します。
私は宗教学徒で西洋古典学と詩歌の実作にも関わる者の立場から「橋を架ける学問と詩」について提題しますが、いまさらながら「震災後文学」の主要作品に目を通しております。

ようやくいとうせいこう『想像ラジオ』(河出書房新社・2013)を読みました。
紙版とKindle版があります。

amzn.to

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私は荻窪に最近できた書店 Titleで文庫版を入手しました。
Titleは中央線カルチャーのよそ者や若者にも開かれた軽妙な部分と読書界のトレンドを意識した興味深い選書を行っている書店です。一見の価値はあります。

www.title-books.com


『想像ラジオ』の語り口は軽妙です。読者を選ぶかもしれません。
とはいえこの語り口で語られなければならなかったことのわかる作品です。
傑作です。
津波に襲われた被災地の樹木の上、DJになりきって魂振りする語り手。
都会的なFM放送や深夜放送の親密性を想起させる軽妙な口調に、鎮魂への思いがにじみます。
語り手は、津波の襲った生まれ故郷と実家の家族のルーツを、そして思うにまかせぬ人生を振り返り、妻子に思いをはせます。語り手のDJは心から聞き手の心に語りかける「想像ラジオ」となり、その声に魂で呼応するリスナーたちの存在が語り手を支えます。復興ボランティアのなかにもその声を聴く人がいる。
しかし、語り手には妻の声だけが聞こえない。彼は妻の不貞を疑っては疑心暗鬼にもなります。妻の声が聴きたい。息子の声が聴きたい。その願いを語る場面に哀愁と死の予感の影がさします。この場面以降の語り口の転調、そして妻と子供の声をようやく聴きとげて「放送」を終える幕切れまでのスピード感はさすがの手練れです。名作です。

『想像ラジオ』を音読すると、語りの文藝のことばを声にのせる快さを感じます。まさにたまふり文体でもあります。声に出して唱えること、語ることがたまふりにもなり、たましづめにもなる。語り手の身の上の思うにまかせぬよるべなさと話題の深刻さがあのユーモアと哀愁のにじむDJがたり文体で和らぎます。
ここはぜひシェイクスピアを得意とする俳優によるリーディング公演で聴いてみたいです。
横田栄司さんとか横田栄司さんとか横田栄司さんとかどうですか。
あの立派な台詞回しと渋いハイバリトンの声での朗読をぜひ聴いてみたい。

災厄の話題を詩歌で語るとともすると悲愴に傾いてユーモアが欠けがちになります。
特に現代詩はそうでしょう。
もしかすると日本語では語り物口調によるたまふりが悲惨すぎて笑うしかない状況を語るのに効果的なのかもしれません。そんなことも思いださせてくれる作品です。
エミール・クストリッツァが旧ユーゴのあまりに暴力的な悲惨の歴史をバルカンブラス響く寓話的世界に託して語ったことも思い出されます。

3.11以後の散文作品では、わたくし的には『想像ラジオ』と多和田葉子さんの『献灯使』が双璧です(Kindle版も出ました。リンクから行ってみてください)。
『想像ラジオ』は現代のたまふりとたましづめを軽妙な口調で語ります。
『献灯使』はもしかしてあるかもしれないけれど今は見たくないディストピア、未来の閉ざされた東京の物質的精神的衰微を生きるか弱い子供たちと死ぬに死ねない老人達たちの対比を描いて息づまるようです。
翻訳書ならだんぜんエルフリーデ・イェリネク『光のない。』を推します。
遠いところにいるからこそ、私たちの哀しみとともにそっとたたずむ悲劇を語って悼むひとがいる。Festival Tokyoで見た地点の《光のない。》の舞台とPort Bの《光のない。2》のオリエンテーリング型舞台は凍り付いた心を静かな涙とともに溶かしてくれるようでした。

やはり抒情と叙事の双方で詩的想像力に働きかけるもの、音読して声がよろこぶ文体があるもの、うすうす誰もが感じていてもあえて言語化しないできた思いもよらぬ視点を開くものがある作品が好みです。

「震災後文学」にかんして、歴史学徒・宗教学徒としては、さまざまな書き手がさまざまな証言を残してくださればテクスト分析の対象になる史料が増えて嬉しいところですが、実作者としては、ではおまえはなにをしてきたか、おまえはなにをするつもりか、と問われているような心地がします。問いに応えてこれから書こう、語ろう、と心をふるいたたせてくれる作品や批評は貴重な存在であると思います。(随時続く)

ブリテン島メシまずワールドサバイバル法:途方に暮れているあなたへ

えっ、なんだって。
SNSブリテン島の食事がまずい、と嘆いたら同胞から「お前の舌がわるい」「選んだ店が悪い」と嘲笑されたって。
ああ、薄情だねえ。それはひどい話だ。
誰もが手頃なお値段で食べられるおいしい食事への道を調べ尽くして上陸するわけではない。
やむなく外食したさきで出てきた食事にテーブル備え付けの塩胡椒をかけてもどうにもならないことだってある。
あなたが責められる筋合いじゃない。
責めるほうに屈託があるだけの話だ。

確かに塩気がない、味気ない、ものを煮る時間が長すぎる、東アジア諸国のような「安くてそこそこうまい」は存在しない、美食の沙汰はカネ次第、ただし高いお代を支払ってもうんと美味しいとは限らない、と噂のブリテン島ごはんだけれど、知られざるプチプラメシにも弁護できるところが多々あるのが底知れなさだったりもする。

おいしいもの情報を共有すればすこしでも多くの人が幸せになるのに。
かの土地のめくるめくメシまずワールドに途方に暮れている人に、武運とおいしいものの神の加護がありますように。
そう願いつつ、ホッキョクウサギ日誌のなかのひとのメシまずワールドサバイバル法をはずかしながらお伝えすべく、このエントリを書きます。



日本でもいくつかレシピ本が出ているけれど、たしかにブリテン島のお茶請けになる焼き菓子はうまい。パウンドケーキとかビスケットとかもう素晴らしい。図書館や美術館・博物館など、大学・公共施設のカフェテリアで昼食代わりにたべた一切れのパイやタルトやクリームティーは心のなぐさめだった。ふところが決してあたたかくはない寄留者の書生生活をどれだけあかるく照らしてくれただろう。

ロンドンよりは地方のほうがおいしく、イングランドよりはスコットランドのほうがおいしい。ハギスはたぶん好みが分かれるところかもしれないが、グラスゴーB&Bでたべたスコティッシュ・ブレックファーストの手間を掛けて作られたとおぼしき食事の滋味は忘れがたい。
移民向け料理店・食材店のなかにはカラフルに光り輝くものがたくさんある。
外食で困ったら中華、東南アジア料理、中東料理、インド・パキスタンバングラデシュ料理をまずはお試しあれ。
ジューイッシュデリ・ベーカリーも楽しい。
ファラフェル~。フムス~。ファラフェル~。フムス~。
そしてケバブ~。ビリヤニ~。
思わずおいしいものの呪文を唱えてしまう。

スーパーマーケットで売っているEU各国から輸入されてくる素材も悪くない。
ぜひ眼力を鍛えよう。
調査のための短期滞在なら、自炊できる宿に泊まることを皆さんにお勧めしたい。
おいしいご飯をつくれる人のところへ行ければなおよい。
AsdaやTescoあたりの安売りスーパーマーケットで素材を買っても、ものを見分ける目があればそこそこ自炊は楽しめる。
最近は成城石井あたりでもみかけるようになったDorset TeaやYorkshire Teaで皆さんご存じかもしれないけれど、普段使いのものでもお茶はおいしい。
乳製品もおいしい。
こくのある牛乳、そして素朴ながら奥行きのある乳脂肪分の香りと舌触りが味わえるチーズ。私はイギリスでおいしいミルクティーの入れ方を覚えた。
肉製品だっておいしい。Marks and SpencerやWaitroseやSainsbury'sのグローサリーにぜひ行ってみてソーセージやハムを試してほしい。


Marks and Spencer

www.marksandspencer.com

やWaitrose

www.waitrose.com


そしてSainsbury'sのTaste The Differenceシリーズのお総菜やデザートもけっこういける。

M&SやSainsbury'sのレンジで温めるお総菜やパックのサラダにはどれだけお世話になっただろう。
図書館で一日文献を狩って疲れ切ってしまうと外食なんてとても考えられなくて、宿に帰ってレンジで温めるスープとパックのサラダで夕飯はおしまい、ということも珍しくなかった。冷凍食品ですら移民料理はうまい、はほんとうだった。懐が寒くてひとりぼっちで外食する勇気がなくてもカレーがおうちで楽しめる。

調査で行った学校・公共施設の食堂でおいしいところに到達できればとてもラッキーだ。私の行った場所では、ロンドン大学Senate Houseのカフェテリアと大英図書館のLeith'sはおすすめできる。Senate House内のICS図書館のティールームにもお世話になった。スープとパンとサラダだけでも、あるいは大きめのタルトやパイひときれでもはらもちはよかった。

ファストフードでどこへ行ったらいいかわからないみなさんへ。まずフィッシュ&チップスはやはり名物なので一度はお試しあれ。
プレタマンジェ

www.pret.com

 

Upper Crustのテイクアウェイのサンドウィッチはaffordableだ。
なかみにもよるけれど、Upper Crustのバゲットサンドはそこそこいける。
あのパリッとしたバゲットの皮は心のなぐさめだった。
カフェネロの珈琲は安心して吞めた記憶がある。調度もおしゃれ。

www.caffenero.co.uk
プレタマンジェは東京にも上陸したことがあるからご存じのかたもいらっしゃるかもしれない。
そういえばエジンバラ空港ではPaulのカフェテリアが繁盛していた。
さもありなんと思った。



確かに、ブリテン島でおいしい食事に恒常的に与れる場所に到達するには機転だけではどうにもならない場面があらわれる。
カネなり人脈なりの何らかの特権的な僥倖が必要なのかもしれない、と思い知らされる場もはなくはない。
イギリスのよい食事には露骨にカネと階級の香りがすることがある。
モード雑誌の日本版で紹介されているようなポッシュなモダンブリティッシュ料理の店の食事は、たしかにそれなりのお値段だ。
新鮮で安全な素材を使ったおしゃれでヘルシーなオーガニック料理も象徴的だ。
健康と倫理と富の味がする。
為替レートがもたらす理不尽感の怨みは深い。
1ポンドは100円、1ポンドは100円、と自己暗示をかけてお買い物したり外食したりしないと、なんだか釈然としないような悔しいような思いが拭えないときもある。

アルプスの南側の国々に寄留する日本人にとってのメシまずエピソードは、それは運が悪かったね、いやもっとおいしいものあるよ、食の冒険者たれ!幸運を祈る!で克服できることも多々ある。しかし話がイギリスとアメリカに及ぶと、食事に露骨にカネとメシまず克服エピソードをめぐる自尊心にかかわる個人史に絡む要素を刺激するなにかにふれてしまうことがあって、どうにも話が紛糾することがあって悲しい。

同胞どうし助け合おうよ、と思っても、まわりにいるのが助け合いの心を分かち合えないひとばかりなら途方にくれてしまうこともあるかもしれない。機転を利かせてつぶさに調べても新参者には扉が開かないこともある。そんな土地柄がよそものを小馬鹿にしているように思えて疑心暗鬼になることさえある。

でも、あきらめないでほしい。
冒険の旅に出たつもりで、機転をきかせてささやかなおいしいものを探してみよう。
その経験はきっとあなたの人生を輝かせる大切な記憶になる。
失敗したら笑っちゃえ。無念の笑いを共有してくれるひともきっといる。

確かに私にも短期の調査のためのブリテン島滞在中に、より多くの本にふれたい、より多くの演奏会やマスタークラスに触れたい、と思って食事代を節約したことがあった。
食事への執着を断つと感覚が冴え、図書館での作業の後に通う舞台や演奏会や音楽学校のマスタークラスの感興も安い席種でもますます深まる。
そんな体験もしたことがある。
宿に帰ればビスケットと紙パックのスープでばたんきゅう、だったけれど心は幸福だった。文士は食わねど高楊枝、短期滞在の期間ならば修行だと思って耐えられたのかもしれない。風通しのよい学問と芸術の体験と引き替えに安くて美味しい食の体験をムーサイへの供犠に献げたのかもしれなかった。

とはいえそんなメシまず伝説のある土地にあっても、お手頃で美味しい食事に到達した努力と機転とセンスがほめられたらそれはうれしい。
どんどんシェアして!とばかりに喜んでおいしいものの情報を開陳してしまうだろう。

おそらくはもっとおいしいものがブリテン諸島にはあるだろう。
そして私はしばらくかの地にご無沙汰している。
来年度どこかで上陸してぜひ情報を更新したいものである。

読者のみなさんに幸運とおいしいものの神の加護がありますように。

大英博物館動画「ポンペイのパンのつくりかた」

おいしいと評判の古代ローマ料理。
試食イベントやレシピ本の翻訳も増えました。

ここで大英博物館提供のパン作り動画をご紹介します。
ジョルジョ・ロカテッリ氏による「復元レシピによるポンペイのパンの作り方」解説

youtu.be

2013年に開催された展覧会「ポンペイとヘルクラネウムの生と死」関連動画です。
レシピはこちらです。

www.britishmuseum.org

ウェスウィウス山噴火時にヘルクラネウムのあるオーブンの中に入って焼かれていたという炭化したパンを分析したレシピをポンペイ・ナポリ・スタビアエ考古学監督局が提供しています。
(© Soprintendenza Speciale per i Beni Archeologici di Napoli e Pompei)

レシピを翻訳して引用します。

biga acida (=サワードウ) 400g
イースト 12g
グルテン 18g
塩 24g
水 532g
スペルト小麦粉 405g
全粒粉 405g

粉で土手を作る。
水を土手のなかに注ぎ、イーストを入れて混ぜる。
土手を崩し、粉と混ぜる。
グルテンと水を加えて2分ほど混ぜる。
塩を加え、3分ほど混ぜる。
円盤状にに成型し、1時間寝かせる。
寝かせたのち、焼成時に型崩れしないようにたこ糸で水平に縛る。
焼成時にふくらみやすいように水平面に切れ目を入れる。
オーブンを200度に設定。
30分から45分焼く。

サワードウ・ブレッドの模様です。おいしそうなのでぜひ作ってみたいですね。

展覧会「ポンペイとヘルクラネウムの生と死」

www.britishmuseum.org


は、映画にもなりました。東京では東京都写真美術館で過去に上映されたそうです。

www.britishmuseum.org

筆記用具の話

文献を読むときのメモは鉛筆(Bか2B)、ノート+構想を書くときはMarvyのドローイング用ミリペン(0.1mmと0.3mm、黒とセピア)、ときどき気分を変えるためにステッドラー・トリプラスファインライナー(モーヴ、スモーキーブルーなど)。発色良く筆先細くかりっとした書き味が必要なのでこの選択になりました。

鉛筆にはほどよい軟らかさを求めます。20代前半まではF使ってましたがいまは発色と書き味を優先しています。

サラサグリップ0.28mmブルーと青緑あたりも好きです。にじまないゲルインクボールペンの流れるような書き味。色がきれいで思考も弾みます。


万年筆は詩歌の構想とPCで打つ前の清書(縦書き)で使います。ラミーサファリケルトン細字にコンバーターを使って色雫紫陽花色を入れています。確かにラミーの万年筆の筆先は乾きやすく、扱いには要注意です。パイロット万年筆の極細のペン先のしなやかで流麗な書き味も好きです。アルファベットを書くなら海外メーカー製品、日本語を書くなら断然国産です。

筆記用具はお茶の水レモン画翠か丸善文房具部、または東大生協本郷第一購買部で見ることが多くなりました。ボールペン・ゲルインクボールペンなど高機能の新製品を見るなら東大生協本郷第一購買部が楽しい。お茶の水レモン画翠と丸善文房具部は魅惑の筆記用具が誘う魔窟です。丸善文房具部にはA5ツバメノート100枚サイズもあります。

なお、良いお道具を使ったからといってよい作品が書けるわけではないことはいうまでもありません。




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